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金沢地方裁判所 昭和48年(ワ)121号 判決

【目次】

判決

当事者の表示

主文

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

二 請求の趣旨に対する答弁

第二 当事者の主張

一 請求原因

1 キノホルムの性質

2厚生大臣の行為

3 被告会社の行為

4 スモンの発症

5 国の責任

6 被告会社の責任

7 スモン被害の概要

8 損害

9 結論

二 請求原因に対する被告国の認否及び主張

三 請求原因に対する被告田辺の認否及び主張

四 請求原因に対する被告武田の認否及び主張

五 請求原因に対する被告日本チバの認否及び主張

第三 証拠

理由

第一 キノホルムとスモンの因果関係

一 スモンの概要

二 スモンの病因

1 キノホルム中毒説

2 ウイルス説

3 その他

4 病因の認定

第二 被告国の責位

一 厚生大臣の行為

二 行政行為の違法を理由とする国家賠償責任

1 被侵害利益について

2 自由裁量行為であるとの主張について

三 注意義務

1 注意義務の根拠

2 安全性確認の対象

3 安全性確認の方法

4 安全性確認の基準

5 厚生大臣以外の者の医薬品安全性確認義務

四 予見可能性

1 予見可能性の程度

2 予見可能性を判断する基準時

3 具体的事情―毒性知見、副作用報告等―

4 予見可能性についての判断

五 結果防止可能

六 注意義務懈怠

1 許可、承認の内容

2 その評価

七 被告国の責任についての結論

第三 被告会社の責任

一 被告会社の行為

二 注意義務

1 医薬品製造業者の注意義務

2 医薬品輸入業者の注意義務

3 医薬品販売業者の注意義務

三 予見可能性

1 推定することができる

2 推定は覆えらない

四 結果防止可能

五 注意義務懈怠

六 被告会社の責任についての結論

第四 損害

一 キノホルムと原告らの被害との個別的因果関係

1 スモンと非スモンとの鑑別

2 キノホルム起因スモンとキノホルム非起因スモンとの鑑別

3 個別的認定

二 損害額

1 損害の発生

2 慰藉料額算定につき考慮した事情

3 損害額の認定

4 被告らの損害金負担関係

第五 結論

【判決】

原告

矢木高志

ほか一五名

右原告ら一六名訴訟代理人弁護士

梨木作次郎

ほか五一名

被告

右代表者法務大臣

瀬戸山三男

右指定代理人

田代暉

ほか一五名

被告

田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役

平林忠雄

右訴訟代理人弁護士

石川泰三

ほか一一名

被告

武田薬品工事株式会社

右代表者代表取締役

武田長兵衛

右訴訟代理人弁護士

日野国雄

ほか七名

被告

日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役

エツチ・エツチ・クノツプ

右訴訟代理人弁護士

井出正敏

ほか一六名

主文

一1  被告国、同田辺製薬株式会社は各自、

原告矢木高志に対し

金二、七九五万円

同米沢芳野に対し

金六四五万円

同岩山みどりに対し

金一、六一二万円

同藤戸ヒサ枝に対し

金二、四七二万円

同東部はなに対し

金一、六一二万円

及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告国、同武田薬品工業株式会社、同日本チバガイギー株式会社は各自、

原告横山光江に対し

金一、〇七五万円

同温井昭に対し

金一、二九〇万円

同北川トクに対し

金一、二九〇万円

同田中一夫に対し

金六四五万円

同田中良枝に対し

金三二二万円

同田中みどりに対し

金三二二万円

同田中敏雄に対し

金三二二万円

同田中佳里に対し

金三二二万円

及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告国、同田辺製薬株式会社、同武田薬品工業株式会社、同日本チバガイギー株式会社は各自、

原告保里良子に対し

金一、五〇五万円

同宮川正雄に対し

金一、二九〇万円

同宮川春に対し

金六四五万円

及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告ら、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は第一項記載の金員のうち、それぞれ五分の二以内の金額の限度で仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1(一)  被告国、同田辺製薬株式会社は、各自、原告矢木高志に対し金六、六〇〇万円、同藤戸ヒサ枝に対し金五、五〇〇万円、同岩山みどり、同東部はなに対し各金四、四〇〇万円、同米沢芳野に対し金三、三〇〇万円及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告国、同武田薬品工業株式会社、同日本チバガイギー株式会社は、各自、原告温井昭、同北川トクに対し各金四、四〇〇万円、同横山光枝に対し金三、三〇〇万円、同田中一夫に対し金一、八三三万三、三三三円、同田中良枝、同田中みどり、同田中敏雄、同田中由佳里に対し金九一六万六、六六六円及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  被告国、同田辺製薬株式会社、同武田薬品工業株式会社、同日本チバガイギー株式会社は、各自、原告保里良子に対し金四、四〇〇万円、同宮川正雄に対し金三、六六六万六、六六六円、同宮川春に対し金一、八三三万三、三三三円及び右各金員に対する昭和四五年九月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

1  被告国

(一) 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

(三) 担保を条件とする仮執行免脱宣言。

2  被告田辺製薬株式会社

(一) 原告らの被告田辺製薬株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

3  被告武田薬品工業株式会社

(一) 原告らの被告武田薬品工業株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

4  被告日本チバガイギー株式会社

(一) 原告らの被告日本チバガイギー株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  キノホルムの性質

(一) キノホルムは、その構造式がで表わされ、キノリン核の側鎖に、ヨウ素、塩素及び水酸基を有する化学合成薬で、明治三三年(一九〇〇年)頃、ドイツにおいて開発されたものである。当初は外用薬品として、その後昭和九年頃から内用薬品として広く使用されるに至つた。

(二) キノホルムはこれを服用するときは、人に知覚障害、運動障害、視力障害をおこすなど、主として末梢神経系に対し有害な作用を生ずる物質である。

2  厚生大臣の行為

(一) 昭和二六年三月厚告三一号をもつて第六改正日本薬局方を公布した際、キノホルムを収載した。

(二) ついで昭和三六年四月厚告七六号をもつて第七改正日本薬局方を公布した際、引続きキノホルムを収載した。

(三) 昭和二八年六月から同四〇年四月までの間に被告田辺製薬株式会社(以下被告田辺という)、被告武田薬品工業株式会社(以下被告武田という)及び被告日本チバガイギー株式会社(以下日本チバという)がキノホルムを主成分とする医薬品(以下キノホルム剤という)を製造又は輸入するためにした許可又は承認申請に対し、別紙(一)記載のとおり、製造許可、輸入承認及び製造承認の各行為をした。

(四) そして、キノホルム及びキノホルム剤につき、右局方収載後、あるいは製造許可、輸入承認等の後、昭和四五年九月まで右キノホルムの安全性について追跡調査をせず、局方からの削除或いは、右キノホルム剤の販売停止等の措置をとらなかつた。

3  被告会社の行為

(一) 被告田辺は、厚生大臣の製造許可、承認を得て製造した、キノホルム剤(商品名エマホルム、エマホルム錠、複合エマホルム、エマホルムP、エマホルムS)を昭和三一年以降一般需要者に向けて販売した。

(二) 被告武田は、厚生大臣の製造許可を得て製造したキノホルム剤(商品名エンテロ・ヴイオフオルム「チバ」、エンテロ・ヴイオフオルム末「チバ」)を昭和二八年以降一般需要者に向けて販売した。

(三) 被告日本チバは、厚生大臣の許可、承認を得て製造又は輸入したキノホルム剤(商品名エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」、エンテロ・ヴイオフオルム散「チバ」、メキサホルム散「チバ」、強力メキサホルム散「チバ」、強力メキサホルムA散「チバ」、強力メキサホルム錠「チバ」)を昭和三五年以降一手に被告武田に販売した。

(四) 被告武田は被告日本チバから購入した前項記載のキノホルム剤を昭和三五年以降一般需要者に向けて販売した。

4  スモンの発症

(一) 被告らの前記2及び3の各行為が存在したことにより、原告ら又はその被相続人らは、別紙(二)記載のとおり、被告田辺、同武田、同日本チバら販売にかかる前記キノホルム剤を摂取し、その結果右原告らは、キノホルムの作用に因つて、亜急性脊髄視神経病(Subacute Myelo Optico Neuropathy)―いわゆるスモン―に罹患し、同表記載の時期に神経症状が発現した。

(二) 右スモンの症状は、一般に下痢、腹痛等の腹部症状の後に神経症状が発生し、下肢の両側において、しびれ、異常知覚が末端より始まり、これが次第に上向して腹部、腰部、ときには上肢にまで及び、遂には麻痺状態になつて、歩行困難、起立不能等に陥いる。又視力障害、言語障害などを伴なうことも少なくない疾病である。

(三) スモンとキノホルムの法的因果関係は、つぎの各事実により明らかである。

(1) スモン調査研究協議会(以下スモン協という)は、二度にわたり全国的なキノホルム剤服用について疫学調査を行ない、スモン患者のほぼ八五%についてスモン発症前キノホルム剤服用の事実を確認した。

(2) キノホルム服用とスモン症状については、いわゆる量と反応の関係(Dose Response Relationship)が積極的に証明されている。

(3) スモン患者は、毎年一、〇〇〇名ないし二、〇〇〇名発生していたのが、昭和四五年九月八日のキノホルム含有薬剤の販売停止措置後、劇的に終熄をみた。

(4) スモン協その他多くの学者が行なつた動物実験の結果でも、キノホルム又はキノホルム剤を投与した各種動物に、人のスモンに酷似した症状と病変が再現された。

5  国の責任

(一) 国は公衆衛生の向上及び増進を図るため、厚生大臣をして薬事行政を担当せしめているものであるところ、厚生大臣は、職務執行行為である前記キノホルムの局方収載並びにキノホルム剤の製造許可、承認等の各行為を行なうについて右医薬品の安全性の判断を誤り、安全な医薬品として収載、許可等をしたもので、これらはいずれも違法な行為である。

そして厚生大臣が、右違法な行為をするについて過失があつたことはつぎに記載するとおりであるから、厚生大臣の右行為は、原告らの本件スモン被害について、国に国家賠償法上の責任を生ぜしめるものである。

(二)(1) 注意義務

(ア) 薬事法上の義務

国は、国民の生命、健康を維持増進させる役割を国民から信託され、国民に代つて薬物安全性及び有効性を審査する立場にある。即ち具体的には、厚生大臣は薬事法(又は旧薬事法)により、日本薬局方に収められていない医薬品の製造、輸入について、その名称、成分、分量、用法、用量、効能又は効果等を審査して製造許可(旧薬事法)ないしは製造・輸入承認を与える権限を有する。そして厚生大臣としては、医薬品が本来人体に対し、有害な作用を及ぼす危険性を内包しているところから、申請にかかる医薬品の安定性については、最高の学問技術水準をもつて実質的に審査を尽くす義務がある。そして局方に収載されている医薬品についても、その安全性の確認義務があることは同様であつて、収載時のみならず、収載後も前同水準をもつて審査を続ける義務があるというべきである。

(イ) 具体的注意義務

厚生大臣は、前述の如く薬事法上医薬品の安定性確認義務を負つているものであるから、その職責、権限に照らすと、危険性のある医薬品を局方に収載したり、危険に結びつく用法、用量、効能等を承認して製薬企業に製造許可をしたりするときは、これを使用する国民の生命、健康に侵害が生ずるであろうことを当然予見すべき立場にあつた者であつて、したがつて厚生大臣は、前記収載、許可をする際はもとより、その後も時期に応じ世界最高の水準で当該医薬品の副作用に関する文献調査、その医薬品の用法、用量、使用期間に応じたあらゆる薬理試験、吸収、分布、代謝、排泄および急性、亜急性、慢性の各毒性に関する動物実験および臨床試験を行なつて本件被害の如き結果発生を未然に防止すべき注意義務があつた。

(2) 結果予見可能

(ア) 内在的危険からの予見可能

医薬品は、その本来目的とする作用以外に人体に望ましくない作用を必然的に伴なうものであり本質的に危険なものである。なかんずく、キノホルムの如き合成化学医薬品は、作用は強力かつ多面的であり、その作用のすべてと作用機序の解明がなされていない。これは公知のことであり、そのような性質をもつ医薬品が企業の手で大量販売されていることを併せ考えると、厚生大臣は本件キノホルム剤の危険性を事前に充分認識することができたというべきである。

(イ) 一般的人体侵害の予見可能

キノホルムについては、その開発の歴史やドラツグデザインから危険性が判明していたし、キノホルムの吸収を示す情報や、無規制な使用を禁ずる警告が存在し、また皮膚、胃腸、腎臓、膵臓など多面的な部位への侵害の危険性を示すターフエル(一九〇〇年)、テルング(一九〇八年)その他数多くの報告が存在しており、自ら調査、研究をしたり、専門家による審査を尽くしておれば、右物質が人体に対し重篤な被害を生じさせる危険性を有することを充分予見できた。またキノホルムは劇薬に指定されたことがあり、右指定はその後解除されているが、その間の事情を調査すれば、キノホルム剤の危険性は充分予見できたはずである。

(ウ) 神経毒性の予見可能

化学構造からみて、キノホルムは神経毒性をもつ芳香族化合物の一つであつて、神経毒性を予見することは可能であつた。またキノリン誘導体の一つとして他の誘導体と同様に、神経毒性の存在を予見することは十分可能であり、さらに8オキシキノリン誘導体の一つとして神経毒性があると判断するのはむしろ当然のことであつた。これらは薬学の基本的な経験則(類似構造類似作用の経験則)である。

(エ) リスモン様症状等神経障害の予見可能

キノホルムそのものについての神経毒性の報告は、戦前から存在している。その一つはホーグ(昭和九年)の組織培養試験で確認された神経系への毒性の報告であり、つぎはアレマンら(昭和一四年)その他の小数回の使用時にみられた神経毒性の報告であり、更にはグラビツツ(昭和九年)以下の継続使用時にみられた神経毒性の臨床報告である。これらの報告に記載された症状は、初期のスモン患者にみられがちの精神運動発作様の症状と、スモン患者にみられる運動麻痺、知覚異常、脳神経症状(視力、聴力障害など)であり、これら報告を調査しておれば、本件の如きスモン様障害を予見することができたはずである。

(オ) 薬理試験、動物実験からの予見可能

以上のほか、キノホルム剤については、国産化に至る歴史、劇薬指定とその解除の経緯、外国薬局方の動きなど累積した危険を疑うべき特別事情が存在していたのであるからその事情が生じた時期に、世界最高の水準で、薬理試験、動物実験および臨床試験等をなすべきであつた。そしてこのような試験を行なつておれば、本件結果の予見は可能であつたというべきである。

(3) 結果防止可能

厚生大臣は、本件キノホルムについて被害発生又はその可能性を予見したときは、同医薬品を局方に収載すべきでなく、また同剤についての製造許可等の申請は却下すべきであつた。もつとも有害性を伴う場合でも有効性が大で使用の必要性が認められる場合には、その有害性を避け得る用法、用量、使用期間に関する事項を製薬会社に明示させるなどの措置をとらせる薬事法上の義務があり、厚生大臣がこのような結果の発生を防止する措置をとることは可能な立場にあつた。

(4) 作為義務

厚生大臣は、局方に収載し、あるいは製造許可した医薬品について、その後も安全性につき追跡調査する義務があり、危害発生の可能性を探知したときは、局方からの削除や販売停止を行なうべきである。厚生大臣は、医薬品が国民一人一人の生命、健康に至大の関係を有する特殊なものであることから、広汎な責務と権限を有しているのであり、また薬局方収載という危険な状態を自ら先行させた責任からみて、右の如き作為義務を個々の国民に対して負つているといわざるをえない。

(5) 注意義務懈怠

厚生大臣は、本件キノホルム剤を販売するときは、使用者についてスモンの如き有害な結果が生ずること、或いはこのような結果発生の可能性を知り得たにも拘らずこれを予見せず、漫然キノホルムを局方に収載し、またキノホルム剤の製造許可、輸入承認、製造承認各申請を容認し、その後も追跡調査など特別の措置を講じなかつた。

(二) 以上の如く厚生大臣は、本件キノホルム剤が人にスモンの如き神経障害を起すこと或いはその可能性を予見することができたのに、これを予見せず、漫然収載、許可、承認等をし、その後昭和四五年九月八日の製造停止措置まで何ら有害な結果発生を未然に防止する措置をとらなかつたものというべく、厚生大臣の右行為は、まさに国家賠償法上の過失と評価することができる。

そして原告らについてのスモン被害は、厚生大臣の右過失と相当因果関係があるから、被告国は国家賠償法第一条に基づき前記発病により原告らにつき生じた損害を賠償する義務がある。そして被告会社と被告国との責任は共同不法行為関係にある。

6  被告会社の責任

(一) 被告田辺、同武田、同日本チバらの前記3記載の行為は、原告らのスモン被害について不法行為法上の責任を生ぜしめるものである。

(二)(1) 注意義務

医薬品は本来危険性を内在させているものであるから、医薬品の製造販売を行なう製薬会社は業務の性質に照らし、医薬品による生命、健康に対する被害を未然に防止するため、その安全性を充分に確認する義務があるものといわねばならない。そしてそのため世界最高の学問的水準による調査研究義務を負つており、具体的には当該医薬品について国内外の文献調査、動物実験、その他各種試験を行なつて、医薬品の有効性、安全性を確認しなければならない。そして製薬会社は、当該医薬品の製造販売開始時のみならず、その後も引続き、追跡調査研究をする義務を負つているというべきである。

なお被告武田は、被告日本チバ薬品について、販売業者としての立場にあるが、被告日本チバと一体性を保つており、また製薬会社としての研究設備を有し、製薬会社がその企業活動として一手配給を担当してきたというべきであるから、右注意義務は被告武田についても同様にいえることである。

(2) 結果予見可能

前記5、(二)、(2)(ア)〜(オ)と同様である。

(3) 結果防止可能

医薬品の販売者が医薬品について、有毒作用の存在又はその可能性を予見したときは、販売を中止するか、或いは有害作用を回避し得る用法を明示し、且つ充分な警告を行なうなどして、医薬品による有害作用から使用者の生命、健康に被害が生ずることを未然に防止すべきであり、本件被告ら製薬業者に対し、右の如き結果防止措置を期待することは可能である。

なお販売開始時のみならず、販売開始後、その医薬品及び近縁医薬品の服用効果や各種の研究結果を調査し、有害作用の疑いを知ることができたときは、直ちに被害発生を回避するための措置を講ずることも可能であつた。

(4) 注意義務懈怠

被告田辺、同日本チバ、同武田らは、本件キノホルム剤を販売するときは、使用者についてスモンの如き有害な結果が生ずること、或いはそのような結果発生の可能性を知り得たにも拘らずこれを予見せず、漫然販売を続け、またその間特別に有害作用を回避するための措置を講じなかつた。

(三) 以上の如く被告会社らは、本件キノホルム剤販売に当つて、同剤が人にスモンの如き神経障害を起すこと或いはその可能性を予見することができたのに、これを予見せず、漫然販売を続けたものというべく、被告会社らの右行為は、まさに不法行為法上の過失と評価することができる。

そして原告らについてのスモン被害は、被告会社らの右過失と相当因果関係があるから、右被告会社らは民法第七〇九条以下に基づき、前記発病により原告らにつき生じた損害を賠償する義務がある。

7  スモン被害の概要

(一) 原告矢木高志

昭和四三年六月、高等学校在学中、腸閉塞の手術を受けた後、経過が思わしくなく、同年七月金沢大学医学部付属病院に転院後、術後の整腸剤として、別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与をうけた。そして同年八月下旬ごろより激しい下痢に見舞われた後、同年九月ごろより両足の先からしびれ、痛みが始まり、これらは次第に上向し、腰痛を伴なう下肢の麻痺による歩行困難、ついで歩行不能となつた。同年一〇月中旬より視力も中心暗点及び視野狭窄を伴なう視力障害によりほとんど全盲に近い状態となり、学業に、運動にすぐれた素質をもつていた右原告も高校をあきらめ盲学校入学を余儀なくされた。現在も異常知覚は継続しており、室内での手探りでのつたい歩き、杖にすがつてのわずかな歩行が可能な程度で、視力障害、色覚異常と相まつて外出を独力で行なうのはきわめて困難な状態である。そのため就職その他将来の見込みは立つていない。

(二) 原告横山光江

昭和四三年二月ころ、金沢市立病院で、下痢、腹痛の治療をうけている際、別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与をうけ、同年九月ころスモンによる神経症状が発現した。発病当時、一男一女の母として、主婦として幸福な毎日を送り、保母職に再就職することを望んでいたが、発病により不可能となつた。右原告は、初め両下肢のしびれ感をおぼえ、やがてしびれは手の指先まで上向し、歩行、用便はもとより、独力で寝返りもうてない状態に陥り入通院をくり返した。現在歩行は三〇〇メートル程度は可能となるも、階段の昇り降りに苦労し、バスには乗れない。また両下肢足裏から大腿部にかけての異常知覚即ち、締め付け感、いやな冷たい感じが継続し、日常家事は困難で、夫や娘達の手助けが必要で、普通人の半分もできない。また疲れやすく不安は続いている。

(三) 原告米沢芳野

昭和四二年八月ころ別紙(二)のとおりキノホルム剤を服用させられ、同年九月ころ、激しい腹痛が来た。そこで痛みにたえ切れず入院したが、間もなく両下肢が痛みを伴なう冷感におそわれそれが上向し、遂に歩行不能となつた。右原告は、発病時、夫や三女信子夫婦と同居し、孫達の世話や家事の手伝いをしていた。発病後、麻痺、痛みが上向し、両手、唇まで麻痺するに至り症状悪化のため入院、通院をつづけた。その後の症状は一進一退で現在も下半身の痛み、しびれ、冷感に絶えずおそわれ、足の裏は剣山のようなものに押しつけられたような痛みがある。立つていることも苦痛であつて、歩行は杖使用で二〇〇メートルが限度である。そのため原告は、一日大半をベツドで送るが、冷感に苦しめられ、また安眠できない。

(四) 国原告温井 昭

昭和三六年に下痢どめとして別紙(二)のとおりキノホルム剤を服用、昭和三九年ころから異常知覚におそわれた。右原告はスポーツ好きで、発病当時係長職の地位にある将来を嘱望されたサラリーマンで、昭和三五年秋結婚し、一男一女の父であつた。発病後異常知覚が始まり、ついで下肢に冷感、全身倦怠が強くなり、歩行障害がひどくなつた。その後右症状は増悪し、昭和四四年九月ころから起臥、歩行が全く不可能となつた、現在でも異常知覚は継続し、肛門周囲下方のしびれ感、腿附近のしめつけ感、足裏のしびれがひどく、歩行もほとんど不可能な状態である。闘病生活のため体力は衰弱し、疲れやすく不眠に悩まされ、視力も低下した。右原告は、職を失い、離婚のやむなきにいたつた。現在障害年金により、どうにか生活を続けている。

(五) 原告岩山みどり

昭和四三年一一月ころ、下痢治療のため、別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与をうけた。そして急激に足の裏のしびれ感が出現し、それは次第に上向し歩行困難となつた。そして更に複視、言語障害、手指の脱力症状まで進み、富山県立中央病院入院後二週間で完全に歩行不能となつた。発病当時原告は農家の主婦として、働き者であり一家の中心であつた。現在は、下肢の異常知覚は継続しており、激しい痛み、しびれ等の症状はほとんど変わらない。歩行も二本杖でようやくわずかの距離の歩行ができるに過ぎない。就寝中は腰から下が硬直した感じで、時折こむらがえりが起き、就寝中の小用は不可能で、室内の移動ははいずり廻つている。便所内での動作も想像以上の苦しみである。そして現在は体の衰弱が激しい。

(六) 亡宮川清作

会社勤めをしていた宮川清作は腹をこわしたため、別紙(二)記載のころキノホルム剤を服用、昭和四四年五月ころより腹痛、下痢に続いて両足先より痛みやしびれ感を生じ、除々に膝、大腿部と上向し、下半身全体に及んだ。同年八月ころ歩行は無論のこと、足を動かすこともできなくなり、遂に両方の手の指先までしびれ、視力は減退した。その後九月に退院したが異常知覚は継続し、両足は細くなり伸び切つた状態で寝た切りの生活を送つた。身体はすぐこわばり、激しい痛みが走つた。そのため妻や息子がつききりで看病し、洗面、食事、排便の世話をしたりマツサージをした。妻や息子は精根尽き果て入院する仕末で、一家はみじめな生活を送らざるを得なかつた。そして昭和四九年一二月二七日宮川清作は死亡した。

そして原告宮川春が妻として三分の一、原告宮川正雄が子として三分の二の割合で同人の権利義務を相続した。

(七) 原告保里良子

病院勤務をしていた右原告は、昭和四〇年九月背部痛と吸期時の軽い呼吸困難から済生会高岡病院に入院、同年一〇月ころ、下痢、腹痛のため別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与をうけた。同年末ころから腹痛が前駆し、翌四一年五月ころには、両足先がしびれ出し、六月ころには腰部にまで達し、麻痺状態となり歩行不能となつた。症状は一時軽快し、昭和四三年四月に退院したが、昭和四三年暮頃から四四年初めにかけて再燃し、足のしびれは上向して全身に及び手、顔面、舌がこわばりよだれをたらす程の状態となつた。視力低下 視野狭窄も発現した。現在視力は0.1程度で、異常知覚は継続しており、杖歩行で、一度に二、三〇メートルしか歩けない。日常の身の回りのことすら自分で行なうことは不可能であり、単身者にとつて生計に悩んでいる。

(八) 原告藤戸ヒサ枝

昭和四四年六月、国立療養所敦賀病院入院中、別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与を受けた。下痢、下腹部痛が起り、続いて、同年七月中旬ころから、両足裏のしびれを感じ、腰部まで上向するとともに、視力障害が現われた。同年八月末ころ病院の脱衣場で倒れ、下半身の運動不能となり同時に色覚異常、視力障害が発現した。その後強度の便秘で危篤状態となつたこともある。入院当時、原告は行商からはじめた呉服商を店舗を持つまでにし、月収一二、三万円の収益をあけていたが、発病により失われた。現在でも異常知覚は継続し、両足蹠は痛覚過敏状態である。歩行は困難で杖を使つて一メートル位、日常生活に附添を要する状態であり、視力は0.02前後で、色覚異常も回復していない。

(九) 原告北川トク

昭和四五年二月胆のう手術のため市立敦賀病院に入院し、別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与をうけた。退院して通院中に、同年五月ころから両足裏に異常知覚が生じ、やがて足に支えがなくなり歩行不能になつた。両足には重圧感がありぴりぴりする感じは、腰まで上昇した。そして寝たきりとなり長女に一切の世話をうけた。当時原告は、会社員として、又休日には農家の手伝、土方仕事をするなど頑健な身体で元気に働いていた。現在、異常知覚は継続し、腰から下のしびれ感は、下にいく程強い。歩行困難で、外出の際は息子や娘が附添い、また杖が必要な状態である。日常生活も困難で、家事はほとんどできない。そのため一家に負担がかかり将来に希望のない生活が続いている。

(十) 原告東部はな

別紙(二)のとおり昭和四一年九月ころキノホルム剤を摂取し、昭和四二年四月ころ腹痛、下痢が続いた後突然しびれ等の異常知覚におそわれ、両下肢末端から急性に下腹部あたりまで上向し、しびれは強く虫が刺すような痛みも加わつた。同時に歩行不能となりその後視力障害も生じ、寝たきりとなつた。発病当時、右原告は、道路工事等の日雇をするなど元気に働いていたが、発病後夫と死別、老後の楽しみは失われた。現在も異常知覚は継続し、不愉快なしびれとじんじんした痛みに絶えず悩まされている。夏でも冷感がつきまとう。足はこわばつて重い。独力歩行は不可能であつて、家の中の移動ははうことが多く日常生活にも附添が必要な状態にある。

(十一) 亡田中和子

昭和四二年九月僧帽弁狭窄症のため、福井循環器病院に入院中、腹痛と下痢のため別紙(二)のとおりキノホルム剤の投与をうけ、同年一〇月ころより両下肢のしびれを覚え、歩行困難な状態となり、激しい痛みを伴なう麻痺症状は腹部、胸部にまで及び、両手もしびれ、言語障害も発現した。当時、右原告は「機屋の主婦」として夫原告田中一夫を助け、身を粉にして、従来の零細企業を中堅企業にまで発展させるために働いた。しかし右原告の発病で事業は打撃を受けた。その後原告は、両下半身のしびれ冷感が常時あり症状は固定したが独力で起ち上ることは困難で、両杖で一〇メートル歩行が限度であつた。そのため車椅子を利用しての室内移動がほとんであつた。食事、用便、入浴も夫が世話をした。結局右発病のため、僧帽弁狭窄症の手術は受けられず、脳栓塞発作により昭和五一年二月一〇日死亡するに至つた。

そして原告田中一夫が夫として三分の一、原告田中良枝、同田中みどり、同田中敏雄、同田中由佳里らが子として各六分の一宛の割合で同人の権利義務を相続した。

8  損害

(一) 以上の如き原告らの被害状況から明らかな如く、原告らは右疾病によつて、精神的、肉体的被害を主要な被害として、更に家庭的、経済的、社会的被害など複雑多面的な被害を被つた。そしてこれら被害について損害額を算定するには、損害費目別の個別積算定方法をとるのは相当でなく、被害の迅速かつ完全な救済を図るためには、包括一律請求によるしかなく、これは当然に許されて然るべき算定方法である。よつて原告らは右観点から精神的被害に対する慰藉料を中心とする包括的全損害を一部請求として

原告矢木高志分  金六、〇〇〇万円

亡宮川清作、原告藤戸ヒサ枝、

亡田中和子分  各金五、〇〇〇万円

原告温井昭、同岩山みどり、

同保里良子、同北川トク、

同東部はな分  各金四、〇〇〇万円

原告横山光江、同米沢芳野分

各金三、〇〇〇万円

を請求する。

(二) さらに原告らはやむなく本訴提起に至り、原告代理人にその訴訟遂行を委任したもので、本事件の性質、それに要する労力などからすれば少くとも右損害額の一〇%は弁護士手数料として相当因果関係の範囲内にある損害といわねばならない。

9  結論

よつて原告らは、請求の趣旨記載の如く、各対応被告に対し連帯して前記包括損害金及び弁護士手数料合計額並びにこれに対する不法行為後である昭和四五年九月七日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する被告国の認否及び主張

1  請求原因1(一)は認める。同(二)は否認する。

2  同2(一)ないし(四)は認める。

3  同3(一)ないし(四)は不知。

4  同4(一)及び(三)は不知。同(二)は認める。

5(一)  同5(一)のうち、国が公衆衛生の向上及び増進を図るため、厚生大臣をして薬事行政を担当せしめていること及び厚生大臣が職務執行行為として局方収載、製造許可等の行為をしたことは認め、その余は争う。原告らは、厚生大臣の収載、許可、承認行為の違法を理由として、国家賠傷責任を追及することはできない。

違法な行政処分により損害を受けたとして、国家賠償法にもとづき損害賠償請求をするには、その受けた損害は、単なる事実上の利益ないしは反射的利益の侵害では足りず、法律上の利益でなければならないところ、本件で原告が求めている損害は、法律上の利益とは考えられない。すなわち、薬事法の立法趣旨及び目的は、不良医薬品の取締りにあり、製造承認に当つての審査基準、審査手続、追跡調査制度、承認の撤回等に関する規定を欠き、医薬品の安全性確保のための積極的且つ具体的規定はないから、国に対して積極的安全保証活動を法的に義務付けたものとはいえないことが明らかである。したがつて国は、国民のうちの特定の個人が、副作用のない医薬品の供給を受けるという個々人の利益を保護する法律上の義務を負うとはいえず、結局医薬品の副作用により被害を受けたとする特定の個人が、厚生大臣の業務違反を理由として国に対し損害賠償を請求するには、法的根拠を欠くものというべきである。

かりに、原告が侵害された利益が法的利益であるとしても、医薬品の許可、承認は、医薬品の有する有効性と副作用との比較、社会的な必要性その他様々な要素を総合して専門的技術的見地から、厚生大臣がその有用性について合理的判断をしたうえで行なうもので、いわゆる自由裁量に委ねられている。したがつて、その裁量に逸脱又は濫用があつたとされない限り、厚生大臣のした承認、許可を違法とすることはできないところ、本件ではこの意味において逸脱、濫用はないから、国家賠償責任を生じないことが明らかである。

(二)(1)  注意義務について

争う。

医薬品は、有効性を有する反面本来望ましくない副作用を伴なう、「両刃の剣」的性格を有するものであるから、医薬品の絶対的安全性ということはありえない。したがつて医薬品の絶対的な安全性を確保するための注意義務を厚生大臣に求めるのは相当でない。そのほか薬事法の取締規定的性格から来る制約や学問水準等による限界もあり、また薬務行政としては医薬品に対する社会的必要度を斟酌しなければならず、国家賠償責任上の安全性確認義務は、これら諸要素の総合的判断のもとに決せられるべきであり、原告らが主張する程絶対的ないしは高度なものではありえないし、また第一次的な位置づけにもない。

(2)結果予見可能について

(ア) 内在的危険からの予見可能について

争う。

キノホルムは、古くから世界各国において繁用され、公定書に収載されてきた医薬品であるから 医薬品の一般的性質だけから、本件薬剤について原告ら主張の如き危険性を予見することができたとするのは相当でない。いささかの副作用なり危険性があれば予見可能性ありとする主張は、医薬品の本質を無視した不当なものである。

(イ) 一般的人体侵害の予見可能について

争う。

キノホルムの副作用報告は、少なからず存在するがいずれも有効性を強調したもので、重篤かつ不可逆的な副作用報告はない。また投与量との関連性なしに、キノホルムが毒性を有するという報告だけでは、医薬品の安全性の評価には役立たない。すべての医薬品は、中毒量に達する程度に多量に投与するときは、必ず毒性を表すからである。安全性を評価するに足る最終的決定的報告は、臨床上の使用経験である。そしてキノホルムについての、スモンの如き激しい神経毒性の報告は椿教授の発表までなかつた。原告らのいう副作用報告では、キノホルムによつてスモンが発症することを予見するに足る資料とはなし得ない。またキノホルムは劇薬には当たらないので指定の解除をしたものである。

(ウ) 神経毒性の予見可能について

争う。

キノホルムは、キノリンを基本骨格として合成されたいわゆるキノリンの誘導体であるが、キノリンや他のキノリンの誘導体の毒性がすべて類似しているとはいえない。化学物質は、置換基がわずかに変るだけで、その生体に及ぼす作用が異なる場合が多い。したがつて、その化学構造が類似しているというだけでは、その毒性や薬理作用を推測し得るものではない。

(エ) スモン様症状等神経障害の予見可能について

争う。

原告らのいう副作用報告では、キノホルムによつてスモンが発症することを予見するに足る資料とはなし得ない。また国外の文献すべてを入手し調査することは実際問題として不可能である。

(オ) 薬理試験及び動物実験による予見可能について

争う。

局方収載の薬用医薬品についての評価は確立しており、原告ら主張の実験は必要でない。なお医薬品が開発される過程において、動物実験が繰り返されているので国が改めて実験をする必要はない。原告らは動物実験の必要性を強調するが、医薬品の動物に対する毒性や薬理作用が、そのまま人にあてはまるものでないことは医学、薬学における常識であつて、動物実験の結果から直ちに人体における作用を予測することはできない。

(3)  結果防止可能について

争う。

(4)  作為義務について

争う。

国民生活の安全を確保するという行政目的を達成するため、公務員に行政権限が付与され、それが行使された結果 国民の中の或る個人の権利、自由が規制されることがあり、またその反面、規制された以外の者が利益を受けることがある。しかしその場合、権限行使の義務は、国又は国民一般に対して負つているのであつて、個々の国民に対して負つているものではない。薬事法上の厚生大臣の権限も、前述のように、あくまで公益目的達成のために与えられているものであつて、個々の国民に対して権限行使の義務を負つているものではない。また、その権限を行使するか否かは厚生大臣の自由な裁量にまかされているのであつて原告らには厚生大臣に行政権限の行使を求める権利はない。

つぎに原告らの主張する厚生大臣の種々の行政措置は、明文上の根拠を持たい、いわゆる行政指導に該当するもので、その履行は、医薬品製造販売業者の任意の協力があつてはじめてなされるものである。そのような場合、権限不行使と原告らの損害との間に因果関係ありとするには、行政権限を行使したなら、行政措置に従つたであろうという関係の存在が必要となる。本件において、いわゆるキノホルム説が提唱される前の段階で、厚生大臣が原告ら主張の行政権限を行使したら、被告会社らがその行政措置に従つたであろうという関係の存在は立証されない。

さらに、行政権限の不行使すなわち不作為が違法といいうるには、単に行政庁が被害の発生を放置したというだけでは足りず、被害の発生に加功加担ないし寄与することが必要であるといわねばならないところ、本件においては、右のような事実は一切認められない。

さらに、また、行政権限の不行使が、権限を付与された意義を無にするような事態においては、行政庁には行政権限を行使すべき法的義務があるという見解が存するのでこれについて述べるに、そのような場合とは、まず行政権限の行使の要件である公益侵害の状態が一義的に明白であると判断し得ることが必要であり、かつ行政権限の行使が、被害回避の唯一乃至は最も有効な手段であり、行政権限が行使されなければ回復し難い損害が生ずるというような救済の必要性の要件がそなわつている場合である。そのような場合にはじめてその行使が法的に義務付けられているといえる。本件の場合後述のとおり被告国は世界にさきがけて販売停止措置をとつているのであつて、懈怠なり遅滞があつたとは到底いい得ないものである。

(5)  注意義務懈怠について

争う。

キノホルムは開発以来、多くの国で有効、安全な医薬品として繁用されてきたもので、我国においても、昭和一四年に局方に収載されるまでの間、またその後においても昭和四年梶川静夫の報告ほか国内外の有効性及び安全性を確認する数多くの臨床使用報告例が存在していた。そして厚生大臣は、その時代における我国の最高の科学的水準にある学識経験者の英知を集めた薬事審議会(旧法)又は中央薬事審議会の意見をきいて審査をし、局方収載を決定したのである。その際右審議機関からキノホルムの有効性、安全性を疑問視する意見の提出はなかつた。その後昭和四五年八月七日、新潟大学椿忠雄教授がキノホルム中毒説を発表したので、厚生大臣は、検討の結果、世界に先駆け同年九月八日キノホルム含有の医薬品の販売中止措置を行なつた。以上の如く、厚生大臣の本件各行為については、過失なく、その行為後の措置も適切であつた。

(三)  同5の(三)は争う。

厚生大臣は本件キノホルム剤について用法、用量を定めて製造許可、承認等をしたのであるが、仮にスモンがキノホルムによつて発症するとしても、それは右用法、用量を無視したキノホルム剤の過剰投与に原因があるとみられ、現実に投与を行なつた医師について責任が問われるならば格別、厚生大臣の許可・承認行為と本件原告らの発症との間に因果関係はない。

6  同7の事実は不知。

7  同8の事実は不知。

損害額の包括一律請求は許されない。

三、請求原因に対する被告田辺の認否及び主張

1  請求原因1(一)は認める。同(二)は否認する。

2  同3(一)は認める。

3  同4(一)は不知。同(二)は認める。同(三)は否認する。

スモンとキノホルムの法的因果関係には種々の疑問があり肯定できない。むしろスモンはいわゆる井上ウイルスによつて発症し、増悪したものとみるのが自然である。

(1) スモン協の調査結果は、神経症状発現前六か月にキノホルムを「確実に服用していない」ものが14.6%もあり、キノオホルムを服用していないにも拘らず、スモンに罹患したものが無視し得ないほどの率を示している。また服用した者は腹部症状発現時にキノホルム剤を服用したものとみられ、同剤が一般に下痢患者に使用されていた点からみると、大多数が神経症状発現前にキノホルム剤を服用していても格別の意味はない。

(2) スモン協の調査結果からみても、スモン患者のキノホルム剤服用について、量と反応の関係は全体としては認められない。

(3) 昭和四五年九月以降、スモン患者は急激に減少しているが、右販売停止の措置以前から減少の傾向を示している。そして右措置後現在まで、引き続いてスモン患者が発生している。

(4) 動物実験の結果については、実験の目的、実験方法がどのようなものであつたかが極めて重要であつて、原告主張の動物実験の結果は、目的、方法に問題があり、直ちに評価できない。被告田辺らによるキノホルムの動物実験ではスモン様症状、病変は全く認められなかつた。

4  同6(一)は否認する。

同6(二)(1)注意義務について

争う。

製薬会社がその販売する医薬品について、安全性を確保するための注意義務があること、並びに医薬品発売後においても追跡調査をし、場合によつて適切措置をする義務があることは否定できないとしても、具体的な内容は、その時々における医学、薬学の水準や、医薬品の安全性確保のための社会的管理体制等具体的事情との関係において決定さるべきであり、また医薬品には絶対安全というものはないのであつて、絶対的な安全確認義務を製薬会社に要求するのは相当でない。また新薬開発の場合と、長年使用実績をもつた医薬品の場合とで販売者の注意義務は異なる。ことに本件キノホルムは、局方収載医薬品であつて、有効性、安全性が保証され、或いは定着した評価が与えられていたものであるから、かかる医薬品の販売については、注意義務は免除又は大巾に軽減されたものとして判断さるべきである。

同6(二)(2)結果予見可能について

(ア) 内在的危険からの予見可能について

争う。

本件医薬品に何らかの副作用や単なる危惧感が予見されたというだけでは、本件スモン被害についての予見可能性を肯定するのは相当でない。スモン或いはスモンに連なる重大な神経障害が検討さるべき副作用についての予見可能が必要というべきである。

(イ) 一般的人体侵害の予見可能について

争う。

キノホルムについての副作用報告は少からず存在するが、文献を正しく評価するときは、そこにかかげられた副作用は軽度ないしは、ありふれたものであつて、報告者はこれら副作用を重視せず、有効性を強調していると理解するのが相当である。またこれら副作用は多様性があり、右報告からはスモンあるいはスモンに連なる重大な副作用を予見することはできない。

(ウ) 神経毒性の予見可能について

争う。

化学構造が類似しているからといつて、薬理作用も類似しているということはない。原告らの主張は、構造活性相関の妥当する領域をはるかに超越した分野における立論であつてとうていいれられない。

(エ) スモン様症状神経障害の予見可能について

争う。

製薬会社が諸外国の文献をくまなく調査することは、実際問題として不可能であつた。また原告ら主張の文献記載は、スモン様症状とは異なり、本件被害の予見が可能とする資料となり得ない。これら諸文献を正しく評価する限り、キノホルムがスモンあるいはスモンに連なる重大な神経障害をもたらす可能性を読みとることは全くできない。

(オ) 薬理試験、動物実験からの予見可能について

争う。

キノホルム剤は、全くの新薬ではなく、長い歴史の中で特にみるべき副作用もないという確信のもとに、すでに人体に投与されてきた。ありふれた医薬品であり、その治験の中から安全性が広く承認されてきているものであるから、販売の際動物実験の必要はなかつた。

同6(二)(3)結果防止可能について

争う。

同6(二)(4)注意義務懈怠について

争う。

キノホルムは、発売時すでに評価の定着した医薬品であり、有効性を報告する多数の文献、報告が集積していた。そして副作用はないという日本および世界の医学、薬学界の確信、常識に支えられてきたものである。被告田辺は、日本薬局方を信頼し、これに沿つてキノホルム剤を製造、販売したもので同剤発売に当つて動物実験等を改めてしなかつたことに過失はなく、法規上の問題もなく、何ら非難されるところはない。スモンがキノホルムによつて生じたものであるとしても、これは、発売当時何人も予見できなかつた未知の副作用というべきである。発売後においても販売中止を考慮しなければならないような副作用報告はなかつた。

同6(三)は争う。

スモンとキノホルムに因果関係があるとしても、キノホルム剤の異常に長期且つ大量投与が原因であつて、一定用法を記載して販売した製薬会社に責任はない。

5  同7の事実は不知。

6  同3の事実は不知。

四、請求原因に対する被告武田の認否及び主張

1  請求原因1(一)は認める。同(二)は否認する。

2  同3(二)及び(四)は認める。

被告武田は、被告日本チバの依頼により、同社のキノホルム剤の原末を打錠、小分けしたに過ぎず、薬事法上製造許可の形式によつたものである。

3  同4(一)は不知。同(二)は認める。同(三)は否認する。

スモンとキノホルムの法的因果関係には種々の疑問があり肯定できない。スモンの病因は今なお不明である。

(1) スモン協の調査結果によつても、キノホルムの非服用者が約一五%もみられ、これら非服用患者の存在によつてキノホルム原因説自体が否定されるか、あるいはスモンの病因を統一的に理解することが否定される。

またキノホルム剤服用時又はそれ以前に腹部症状が前駆しているとみられ、右服用率は、キノホルム説の裏付けとならない。

(2) スモン協の調査結果からみても、スモン患者のキノホルム剤服用について、量と反応の関係は全体としては認められない。

(3) 昭和四五年九月以降、スモン患者は急激に減少しているが、右販売停止の措置以前から減少の傾向を示している。そして右措置後現在まで、引き続いてスモン患者が発生している。

(4) スモン協の動物実験は、スモン症状発現を意図した特殊な漸増法によつた大量投与の実験であつて、異物の大量投与による害作用の発現というべきである。

4  同6(一)は否認する。

同6(二)(1)注意義務について

争う。

製薬会社がその販売する医薬品について、安全性確認の義務があることは否定できないが、具体的には、その当時の科学水準のもとで最善とされた方法で試験をし、判定をしておれば、安全性確認義務は十分尽されたということができる。そして右科学水準は、新薬(局方に収載されていない医薬品)の製造に対する法的規制の変還から推測が可能である。なお日本チバ製品について、被告武田は単なる中間流通業者としての立場にすぎないところ、医薬品の副作用を検査、安全性を確める義務は、もつぱら製造業者の領域に属し、販売業者の領域にないことは明らかであり、薬事法上も販売業者に安全性確認義務は課せられていない。

同6(二)(2)結果予見可能について

(ア) 内在的危険からの予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

(イ) 一般的人体被害の予見可能について

争う。

キノホルムについて臨床上、いくつかの副作用報告があるが、その副作用は、いずれもありふれた軽微なものとして危険視されておらず、これら報告の結論は、キノホルムの有効性と安全性を確認したものであつて、キノホルムの有効性と比較考量するときは、配慮を要しないものと考えられてきた。

(ウ) 神経毒性の予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

(エ) スモン様症状等神経障害の予見可能について

争う。

外国の文献で極めて特殊なもの、例えば発行されていることすら、わが国では知られていないもの、戦時中に交戦国で発刊されているもの等については、現実に調査していないし、また調査が不可能であつたことはいうまでもない。

(オ) 薬理試験、動物実験からの予見可能について

争う。

実験に供される各種の動物のキノホルムに対する感受性には、著しい種差と個体差があり、病状の発現も区々であつて、人間への予見性に価する動物類は不明である。したがつて、かりに原告ら主張の如き各種実験を行なつたとしてもスモンの予見は不可能であつた。

同6(二)(3)結果防止可能について

争う。

同6(二)(4)注意義務懈怠について

争う。

被告武田は、昭和九年に「エンテロ・ヴイオフオルム」を輸入し販売したが、輸入に先立ち、製造者のスイスバーゼル化学工業会社から資料を入手して検討した。しかし医薬品としての有用性を否定する程度の副作用情報はなく、その後の情報収集の結果も同様であつた。またその後被告武田が製造または供給を受けたキノホルム剤の原末は、スイス国チバ・ガイギー社(以下スイス・チバ社という)の製造にかかるものであるが、同社は世界的に名声のある良心的製薬企業であり、販売業者の立場として被告武田が右製品に信頼を寄せたのはやむを得ないというべきである。

同6(三)は争う。

5  同7は不知。

6  同8は不知。

五、請求原因に対する被告日本チバの認否及び主張

1  請求原因1(一)は認める。同(二)は否認する。

2  同3(三)は認める。

3  同4(一)は不知。同(二)は認める。同(三)は否認する。

スモンとキノホルムの法的因果関係には種々の疑問があり肯定できない。スモンはキノホルム以外の日本特有の要因によるものである。

(1) キノホルムは開発以来七〇年にわたり、世界各国の人によつて使用されてきているのに、日本以外の国におけるスモン患者の発生数は僅かに三十数例にしかすぎない。世界の総人口と対比して考えれば、右発生数は病因を論ずる場合の統計的な有意度としてはゼロに等しい。日本における調査でもスモン患者に限りキノホルム剤の服用率が高いということはない。

(2) キノホルムとスモン病状との間に、いわゆる量と反応の関係は認められない。

(3) 日本での販売停止措置後も、日本以外の殆んどすべての国々で、キノホルム剤の製造、販売、使用は続けられており、しかもそれらの国々では殆んどスモンの発生をみていない。日本において販売停止後、従前から発生を続けていた非服用スモン患者まで減少したことから考えると、右スモン患者数減少はキノホルム剤販売停止と関係がないことが明白である。

(4) スイス国チバ・ガイギー社は、幾度か動物実験を行なつているが、いずれも、キノホルムによつてスモン症状、ことに末梢神経障害は発生し得ないという明白な結論に達している。同社以外の者が行なつた動物実験でも同じ結論である。

4  同6(一)は否認する。

同6(二)(1)注意義務について

争う。

製薬会社には製造販売する医薬品について安全性を確認する義務があるが、医薬品の安全性とは元々相対的な概念であり、効能と障害の比較衡量の問題を絶えず含んでいる。したがつて医薬品の安全性は、その効能や副作用に対する絶えざる情報の蒐集や検討の問題と切離すことができないものである。またそれは医薬品一般に固有不動な基準ではなく、個々の医薬品について情報の内容によつて絶えず変化し、検討を続けなければならない流動的な観念であるといえる。その意味から製薬会社としては文献調査、臨床例の研究、品質管理、生物実験等安全確認措置をとる義務があるが、その義務は結局のところ絶対且つ不動のものということはできない。また製薬業者の注意義務を考える場合でも、医薬品が人類の生命、健康を守るため貢献してきたことを忘れてはならない。

同6(二)(2)予見可能性について

(ア) 内在的危険からの予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

(イ) 一般的人体被害の予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

(ウ) 神経毒性の予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

(エ) スモン様症状等神経障害の予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

(オ) 薬理試験、動物実験からの予見可能について

争う。相被告の主張に同じ。

同6(二)(3)結果防止可能について

争う。

同6(二)(4)注意義務懈怠について

争う。

被告日本チバはスイス・チバ社と姉妹会社関係にあり、被告日本チバはスイス・チバ社からキノホルム剤の製品又は原料を輸入し、日本において販売、又は製造をしていたものであるが、品質についてはスイス・チバ社の厳重な管理を受けているところ、スイス・チバ社は、内服用キノホルムの製造販売開始を決定するに先立ち、世界的にも著名な学者、研究機関に委嘱して、その有効性と安全性の科学的確認を行ない、その時代に最善と思われる方法によつて安全性確認義務を十分につくした。その後、同社は品質管理の一環として急性毒性試験を行ない、また著名な学者、研究機関に対し、毒性に関する調査研究の委嘱を継続し、更に視神経萎縮などの副作用報告があつた際には、直ちに動物実験をし、キノホルムによつてこのような障害が起きないことを確認した。被告日本チバはこれらスイス・チバ社を通じての確認措置によつたほか、自らも日本国内における文献を調査し、副作用報告にも注意を払つていた。このように被告日本チバは、キノホルム剤の安全性確認義務を十分に果している。

同6(三)は争う。

5  同7は不知。

6  同8は不知。

第三  証拠〈略〉

理由

第一キノホルムとスモンの因果関係

一スモンの概念

〈証拠〉によるとつきの事実を認めることができる。

昭和三〇年(一九五五年)ころから、山形、及び三重県において、独立に慢性下痢経過中、知覚異常、筋力低下を起す、従来にみられない神経病の報告が清野祐彦、高崎浩らからあり、引続いて同様の疾患の報告があり、昭和三七、八年ころから飛躍的に増加した。とくに釧路、山形、徳島、大牟田、津、戸田、蕨等において集団発生があり、注意をひいた。その後昭和四一年ころより、岡山県井原市、湯原町において激しい発生をみ、また同様の腹部症状を伴なう神経障害症例は、全国的にもまん延し、病原不明ということもあつて、社会不安をかもすに至り、昭和四四年にピークに達した。これらの症状は、基本的にはほぼ共通していたが、細部では多様であつたため、一独立疾患であるかどうか議論があつたが、昭和三九年(一九六四年)五月、第六一回内科学会総会(会頭前川孫二郎)でこの問題がとり上げられ、その際、既知の疾患とは異なる。腹部症状を伴なう特異な神経症状及び病理所見を呈する疾患単位が少くとも存在するという一応の結論が出され、椿忠雄、豊倉康夫らは、亜急性(Subacute)、脊髄視神経症(Myelo-Optico Neuropathy)-SMON-の病名を提唱し、これは次第に多用されるに至つた。

その症状は、一般に下痢、腹痛等の腹部症状の後に、神経症状が発生し、下肢の両側において、しびれ、異常知覚が末端より始まり、これは次第に上向して、麻痺状態となり歩行困難、起立不能等に陥いり、また視力障害、言語障害を伴なうことも少くないというものである。そこで後記スモン調査研究協議会(会長甲野礼作)では、臨床班の楠井賢造ほかが立案準備し、昭和四六年に、スモンの臨床診断指針の統一化を図り、これを正式採用して、診断の確実化と実態把握の正確化に役立てることにした。これによると、必発症状として、

①  腹部症状(腹痛、下痢など)おゝむね、神経症状に先立つておこる。

②  神経症状

a 急性又は亜急性に発現する。

b 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、その他)を伴ない、これをもつて初発することが多い。

参事事項として、

(必発症状と併わせて、診断上きわめて大切である)

①  下肢の深部知覚障害等を呈することが多い。

②  運動障害

a 下肢の筋力低下がよくみられる。

b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、Babinski現象など)を呈することが多い。

③  上肢に軽度の知覚、運動障害を起こすことがある。

④  次の諸症状を伴なうことがある。

a 両側性視力障害

b 脳症状、精神症状

c 緑色舌苔、緑便

d 膀胱、直腸障害

⑤  経過はおゝむね遷延し、再燃することがある。

⑥  血液像、髄液所見に著名な変化がない。

⑦  人児には稀である。

となつている。右のようにスモンの臨床診断指針が統一化されている現状において、スモンとは、一応右診断指針に合致する者をいうと定義づけることができる。

二スモンの病因

1  キノホルム中毒説

(一) 〈証拠〉によると、キノホルム中毒説とは、スモン発病前主として一般的な急性又は慢性の胃腸症状治療のため、一部においてはその予防目的でキノホルム剤を多量に服用したため、キノホルムが体内に吸収され、その毒作用によつて直接或いは間接に、またキノホルム単独或いは他要因との競合によつて神経障害が生じたとするもので、いわゆる薬物中毒症状の一種であるとみるものである。なおスモンの腹部症状も神経障害によるもので、激しい腹痛、腸閉塞様症状等を呈し、キノホルム剤の投与を促した一般胃腸症状と比べて特徴的である。そしてこれら投与前の胃腸症状にキノホルム投与による自律神経症状としての腹部症状が重なつて前記スモン特有の激しい腹部症状になると説明する。

(二) 〈証拠〉によれば、スモンの原因がキノホルムによるとの説がとなえられた経緯は、つぎのとおりであると認められる。

スモンの発生は、前記の如く、昭和三〇年ころから始まり、その後次第に全国各地に多発現象が増加し、これにともない、原因不明の難病として、注目を集めるようになつたので厚生省は、昭和三九年に前川研究班(主としてウイルス関係)に依頼して、また昭和四一年には国立病院でのスモン研究班等に依頼して調査研究をさせたが、成果が得られず、昭和四四年三月一九日特別研究班発足後、同年九月二日、右をスモン調査研究協議会(いわゆるスモン協)に拡大、強化して調査、研究に当らせた。スモン協は、その内部に疫学班、病原班、病理班、臨床班をおき、以来医学、薬学その他関連分野の多数学者によつて病因等の調査研究を行なつた。

スモンの原因として考慮の対象となつたのは、ウイルス感染説、腸内細菌毒素説、脊髄血管障害説、アレルギー説、代謝障害・ビタミン障害説、中毒説等が主要なものである。このようななかで、高須俊明、井形昭弘らはスモン患者の舌苔が緑色又は暗緑色になること、及び糞便、尿が緑色又は暗緑色になることが少なくないことと、スモン患者の腹部症状と神経症状とが時間的に密接な関係にあること等に着限して研究し、田村善蔵らが、スモン患者の緑尿を分析したところ、この緑色色素がキノホルムのFe3+キレート(錯化合物)であることが判明した。椿忠雄は、ここでキノホルムがスモンの原因であるとの仮説をたて、新潟県下で、右仮説のもとで疫学調査を行なつたところ、キノホルムの服用率、神経症状発現時期とキノホルム服用時期との関係、服用量との関係、病院内でのキノホルム使用量とスモン患者発生頻度との関係等から、スモンの原因はキノホルムの服用によるものではないかとの疑いをいよいよ深め、いわゆるスモンキノホルム説を昭和四五年八月七日に発表した。

厚生省はこれを重視し、同年九月七日中央薬事審議会が招集され、検討の結果、キノホルム及びキノホルムを含有する医薬品の取扱いについて答申し、翌九月八日各都道府県知事に向けて、次のような通知を出した。①キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品の販売を、当分の間、中止させること、②キノホルム及びブロキシキノリン並びにこれらを含有する医薬品であつて、既に販売されているものについては、その使用を見合わせるよう広く一般に周知を図ること、③腸性末端皮膚炎等、医療上これらの医薬品を使用することが特にやむを得ない場合の措置については、おつて通知すること、④キノホルム及びプロキシノキリン並びにこれらを含有する医薬品の製造(輸入)は、今後当分の間、承認及び許可しないこと。

これを機会に、スモン病因研究の焦点はキノホルムに転換して行き、多くの学者は精力的に研究、調査を続けた。そしてキノホルム中毒説を支持する者は次第に多くなり、スモン協は、昭和四七年三月一三日総会を開き、甲野会長から、研究総括として、スモンと診断された患者の大多数は、キノホルム剤の服用によつて神経障害を起こしたものと判断される旨の発表があつた。右スモン協は、昭和四七年度から特定疾患調査研究スモン班(以下スモン班という―班長重松逸造)として再発足し、構成員らは引続き問題解明に努力し調査研究を続けたが、前記昭和四六年の総括に背馳する結果は得られず、キノホルム中毒説は決定的になつたと総括した。

(三) キノホルム中毒説を裏付けているのは、主としてつぎのような事実である。

(1) スモン患者のキノホルム服用率

〈証拠〉によれば、つぎの事実が認められる。

スモン患者のキノホルム服用状況調査が、スモン協班員によつて、二回にわたり行なわれたが、第一回の昭和四五年九月二〇日臨床班員一八名の自験例を対象とした調査においては、調査症例八九〇例中、薬剤使用状況不明な一四八例を除いた七四二例中、六一〇例(82.2%)は、スモン症状のうちの神経症状の発現前六か月以内にキノホルム剤を確実に服用し、一一〇例(14.8%)が確実に服用しておらず、また神経症状発現後では、薬剤使用状況の判明している七八二例中、六〇一例(七八%)が確実な服用者、一四七例(18.8%)が確実な非服用者であつたとの結果が得られた。第二回は、全国の医療機関に受診した確実なスモン患者につき、昭和四六年七月一五日から調査表を配付回収し、同四七年二月二七日これを集計解析したもので、総数二四五六例中、キノホルム使用状況不明な六一七例を除いた一八三九例中、一三八一例(75.1%)はスモン神経症状の発現前六か月以内にキノホルム剤を確実に服用し、二六九例(14.6%)が確実に服用していないこと、さらに神経症状発現後の確実服用者は七一%、確実非服用者は24.4%であるとの結果が得られた。この前後二回の調査から一般にスモン患者の神経病状発現六か月前キノホルム剤服用率が約八〇%といわれるようになつた。

(2) 量と反応の関係(Dose Re-sponse Relationship―以下D・R・Rという)

〈証拠〉によればつぎの事実が認められる。

前記の如く、スモン協は、二回にわたるキノホルム剤服用状況調査結果について分析した結果、第一回調査では、神経症状発現前後における、キノホルム使用の有無別及び使用キノホルムの量別にスモンの各症候(下痢、腹痛、知覚障害、運動障害、視力障害、緑色舌苔)の程度、経過、重症度、再燃の有無、既往の手術あるいは性、年令との関連を、キノホルム剤使用の有無が明らかな六七二例について観察したが、いずれの場合も明瞭なD・R・Rは認められなかつた。しかし一部にはそのような傾向を示す所見があり、この場合神経症状発現前のキノホルム使用量よりは、発現前後合計のキノホルム使用量の方がより関連が深いように思われたと要約している。第二回調査では、右D・R・Rについては、使用キノホルム量とスモンの各症候の程度、経過、重症度、再燃の有無、既往の手術あるいは性、年令との関係を、キノホルム使用の有無が明らかな一、五二七例について観察した結果、視力障害の程度、緑色舌苔の合併率、重症度、及び再燃率については、神経症状発現前のキノホルム使用量との間には相関が見られないにもかかわらず、神経症状発現前、後の総量との間には、正の相関が認められたとしている。

その後、昭和四七年度に、スモン班は、従来の調査並びに昭和四七年以降の生活実態調査で得られた資料を分析してD・R・Rを研究した結果、昭和四九年三月一三日のスモン班総会において、投与率と発病率との間で、調査の大半は相関「あり」としている。投与量と重症度では、相関「あり」という報告と相関「なし」という報告があるが、いずれも少数で「一部あり」とする報告が多数を占めた。投与量と再燃率間では、「あり」とするものと「一部あり」とするものがあると要約した報告をしている。そのほかD・R・Rを認めたという研究が続いている。

(3) キノホルム剤の販売停止措置

〈証拠〉によるとつぎの事実を認めることができる。

前述のように、厚生省は、昭和四五年九月八日キノホルム剤の販売停止措置を採つたが、その後、調査機関へ届出られたスモン患者の新発生報告数は、昭和四五年九月から一二月まで、スモン確実とされる者とその疑いのあるとされる者の合計で六五名、昭和四六年三六名、昭和四七年三名、昭和四八年一名であり、昭和四九年以降は一例もない。これに対し、右販売停止措置がとられるまでのスモン発生状況は、昭和四二年度から毎年一、〇〇〇名から二、〇〇〇名を数えていた。

(4) 動物実験

〈証拠〉によれば、つぎの事実を認めることができる。

スモン協及びスモン班所属の大月三郎、池田良雄、高橋理明、上田喜一、大滝サチ、立石潤、池田久男、小田三喜夫、小宅洋、江頭靖之、そのほか井形、椿ら多数の研究者によつて、昭和四六年から昭和四九年にかけて、雑犬、ビーグル犬、ネコ、サル、ラツト、カニクイ猿、幼令犬、ニワトリ、モルモツト、家兎、マウス等の実験動物に対し、経口(定量又は漸増)投与或いは静脈注射等の方法でキノホルムの投与実験を行なつた結果、多くの動物に運動障害、知覚障害、視力障害が発現することを確認し、またある者は追試にも成功した。その際末梢神経、脊髄、及び視神経に病理所見での変性をみたとの結果報告がされた。

昭和四七年三月までの動物実験のなかで、スモン病変の再現に関する動物実験の成果は、①キノホルム剤又はキノホルムを長期にわたつて経口投与することによつて、各種動物の神経系に障害が発生した。投与法としては、一日投与量を次第に増量することが有効であつた。②臨床的には、イヌ、サル、ウサギ、ニワトリ、ウズラに見られた運動障害、及び失調は、両側性に出現し、後肢に強いことや、イヌで観察された後肢の腱反射、亢進、尿失禁などはヒトのスモン患者と同じか、または似ている。視力障害はイヌ、ネコで認められた。③病理組織学的には、スモン剖検例の特徴である末梢神経、脊髄後根神経節、脊髄長索路の変性は、程度の差はあるが、数種の動物について報告されており、なかんずく視束の変化を含む定型的な強い変化は、イヌ、ネコで再現された、とまとめられている。

また、昭和四九年度のスモン班発症機序分科会会長報告でも、池田久男、立石らが、ビーグル犬を用いて行なわれたキノホルムによる発症実験において、漸増投与に限らず、一日一回三〇〇mg/kg/dayの固定量カプセル投与による全例が発症したとしている。

以上の外、昭和四六年に豊倉、松岡理らの、マウス、イヌについての放射性標識キノホルムを用いた実験が行なわれている。これによるとキノホルムが腸管からかなり吸収され、肝腸循環が成立し、マクロオートグラフイーにより、坐骨神経などの末梢神経、後根神経節、脊髄神経根、網膜などヒトにみられる主要病変部位に一致した分布が見られるが、中枢神経系へのとりこみが極めて少ないこと、坐骨神経では、初期の高濃度が他の臓器にくらべて比較的長く持続すること等の動物実験結果が得られ、高橋康夫、緒方正名、田村ほかでも同様の研究が行なわれ、肯定的結果が得られている。

(5) 発生病理

〈証拠〉によれば、つぎの事実が認められる。

スモン班研究業績のうちに、米沢猛ほかのキ剤の神経組織への中毒作用の研究があり、血中遊離キノホルムによつて、培養神経組織における自律神経と知覚神経の無髄の部が最も速やかに侵されることを認めたものがあり、またスモン班発生病理分科会における八木国夫ほかの研究によると、キノホルムの毒性発現に、金属イオンが関与していることを示唆している実験結果その他から、発症機序としては、キノホルムが金属イオンを伴つて神経細胞に入り、過酸化脂質を生成させ、蛋白変性を介してミトコンドリアを空胞変性させると考えられるようになつたものがある。そのほか多くの学者が病理面での研究で成果をあげている。

(四) 以上のキノホルム中毒説に対しその裏付けとなつた事実やその調査方法に問題点があるとし、また、①キノホルム非服用者の中に発病者が存在する、②外国での有病率が低く、日本で昭和三〇年以降に突如大量発生した理由が判然としない、③D・R・Rが必ずしも明らかでなくばらつきがある、④性差、年令差の理由がはつきりしない、⑤発病機序が必ずしも明らかになつたとはいえない、等の疑問が提起せられている。これについてキノホルム中毒説を支持する者から種々の反論、説明がなされ、研究、及び調査が進められていることが前掲各証拠によつて認められるが、現段階ですべてが解明されたとはいえず、科学的な意味で疑問を拭い去ることはできない。

2  ウイルス説

(一) 〈証拠〉によると、つぎの事実を認めることができる。

スモン患者の発生がある地域に多発し、一定期間を経過するとその発生率が低下し、また別の地域での発生が目立つこと、多発地域では、病院或いは家庭内、同一職場内集積性が目立つこと、また不規則な間隔で続発し、季節的消長(夏から秋にかけて多発の傾向)が見られることなど、スモン発生の疫学的調査の結果から、スモンの原因として感染症の疑いがもたれ、そのなかでもウイルス感染が疑われ、スモン協結成以前から病原体分離の試みがなされてきた。スモン協発足後も右試みが続けられ、スモン患者の血液、髄液、糞便などから、新宮正久によつてエコー二一型ウイルスが、また武内忠男、俵寿太郎らによつてもウイルス因子が分離された。しかしこれらウイルスが、スモンの症状発現に重要な役割を果しているかどうかについて、他の研究者らが追試、検討を行なつたが、積極に確認されるにはいたらなかつた。これらとは別に、井上幸重、西部陽子ほかは、岡山、大阪、北海道の各地のスモン患者の糞便、脊髄液等を用いてウイルスの分離を試みた結果、BAT―6細胞に弱い細胞変性効果(C・P・E)を示すウイルスを分離したこと、このウイルスは既知の腸内ウイルスとは性状を異にする新しいウイルスであること、動物実験でもスモン類似の症状が認められたことなどを発表し、このウイルスがスモンの病原であるとした。そして追試の結果、実験動物に生じた症状を確認したと報告するものが出てきた。被告田辺は、この井上ウイルスをスモンの病原と主張するので以下この点について判断する。

(二) 〈証拠〉によると、井上ウイルスの性状はつぎのとおりであると認められる。

右井上らが分離したウイルスは、DNA型に属し、エーテル感受性であることが明らかになつたとしていた。その後、西村千昭は、孵化鶏卵漿尿膜を用いた免疫学的検査で、ヘルペスウイルス群と一部共通の補体結合抗原を有するが、その中和抗原はヒトのヘルペスウイルスとは全く異つていることから、ヘルペスウイルスの新種であろうとの報告をした。そして、向神経性ヘルペスウイルスの多くは、中枢神経系に好んで生育し、あるものは末梢から神経に沿つて感染することも知られているからスモンを理解する上で重要であるとしている。井上らは、さらに研究を続け、右ウイルスの伝染力は、鶏の伝染性喉頭気管炎(I・L・T)ウイルスの抗血清により中和されるが、右ウイルスの抗血清は、I・L・Tウイルスの伝染力を中和できないとの実験結果から、右ウイルスは、I・L・Tウイルスの神経向性変異株ではないかとする報告をした。その後別所敞子らは、ウイルスの電子顕微鏡写真撮影に成功した。これによるカプシツドの径が約一一〇mμであり、六方晶系の外観を有し、カプソメアの総数が一六二個であるので形態学的にヘルペス型のウイルスであることが確認されたと報告している。これらから、井上らはスモンは同ウイルスの遅発性感染症であると考えるのが妥当であり、右ウイルスは免疫不全状態を有する患者に感染性を示す。そして最近、オーストラリア、英国、米国においてもスモン感染症の存在が発見されたとのべている。

(三) ウイルス説を裏付けているのはつぎのような事実である。

(1) 疫学上の説明

〈証拠〉によるとつぎの事実を認めることができる。

キノホルム中毒説に従つた場合、キノホルム非服用スモン(約一五%)が存在する。D・R・Rが必ずしも明確でない、キノホルム剤販売停止措置前からのスモン患者の激減地区の存在や同措置後の引き続く発生等の問題があり、これらスモンの疫学的特徴を説明する必要を生ずるが、ウイルス説ではその説明は比較的容易である。即ち、ウイルス説によると、スモンは免疫反応不全に伴なうウイルス感染症とみるのであるから、発病者が目立つと多発とみられるが、一方不顕性感染によつて天然の免疫現象が住民に生じ、その結果その地区での患者が激減すると説明する。また同一職場、同一家族等一定の限局された地域内における多発現象や、キノホルム剤販売停止措置後の患者発生についてもウイルス説によつて説明が可能になる。事実吉安克彦、井手幸彦らはキノホルム非服用スモン患者の脳脊髄液をC57BL/6J系マウスへ脳内接種及び腹腔内接種を行なつた結果、スモンに類似する立毛、後肢の歩行障害、自発運動の低下等の所見を得たと報告している。

(2) ウイルス分離

〈証拠〉によるとつぎの事実が認められる。

前記の如く、井上らは、岡山地方のスモン患者五例より全例ウイルスを分離し、うち一例は連続継代培養をおこない、大阪地方では一〇例中八例、北海道地方では二九例中二三例ウイルスが分離された、その際健康者についても検査したが、例外的に無菌性髄膜炎患者二例からウイルスが証明されたのみで、その他では全く分離できなかつたと報告し、ウイルス分離率が約八〇%であることを明らかにし、また島田宜浩らは、スモン由来ウイルスに対する中和抗体価の検索の結果、発病初期のスモン患者血清では三三例中三〇例に軽度の抗体価上昇があつたが、回復期のものでは一二例中全例に明らかな抗体価上昇が認められたとし、対照とした七三例の健康成人では七一例に抗体価の上昇はなかつたと報告している。

(3) 動物実験

〈証拠〉によると、つぎの事実を認めることができる。

井上らは、スモン患者から分離したウイルスを、C57BL/6系のマウスに接種したところ、二ないし三週間後にスモンと類似した後肢麻痺が出現した。病理学的には脊髄のゴル索と錐体路に、対象性の軸索変性と脱髄が認められ、他方炎症性の病変は認められなかつたと報告し、また小沢恭輔らも、適当な前処置(免疫抑制)があれば成熟マウスにも、更に、脳内、腹腔内接種に限らず、経口接種によつてもスモン類似の症状を発現させることができたと報告している。そして同様の実験は、木村右、吉田長之や、西村も行なつており、同様の発症を確認している。その後もスモン協研究員によつても右ウイルスの追試が行なわれた。即ち北原典寛、多ケ谷勇らは、新生児マウスにウイルスを脳内接種したところ、立毛、発育停止(Runting)、四肢麻痺を呈するものがみられた。しかし発生頻度は低かつたと報告し、桜田教夫らも同様の実験で陽性例の存在を認めている。

(四) 以上のウイルス説に対し、ウイルスの分離、動物実験の追試に成功したものはほとんどいないといつた、裏付けとなる事実について批判があるほか、感染説では説明しがたい①臨床的に発熱を欠き、血液像、膸液像に特別の所見がなく、その他の感染症の特徴も認められない、②キノホルム剤販売中止後のスモンの劇的終熄を説明できない、などの疑問が提起せられ、これらの疑問に対する反論も行なわれていることが前記各証拠によつて明らかであるが、科学的にみて疑問は解消しない。

3  その他

〈証拠〉によれば、スモン協、スモン班では、キノホルム説、ウイルス説等のスモンについての単一の病因の他に、腸内細菌、農薬或いは、マイコプラズマ等についての調査、研究をなす外に、キノホルム剤が腸内細菌に及ぼす影響等の複合的要因についても調査、研究を進めている事実は認められるが、現在までに確定的結果は得られていないことが認められる。

4  病因の認定

(一) 発病の要因

〈証拠〉によると、つぎの事実が認められる。

人体は複雑な組織と機構をもち、また多様な生物学的反応を示すものであるから、病気は、厳密な意味で、単一の原因によつて発生するということはほとんどない。一般的にみて、病気の発生を要因別に明らかにすると、病因側の要因と宿主側の要因に分けられ、更に環境側の要因がこれに加わる。本件スモンについてみると、宿主側の要因としては、①女性に多く、小児には稀である、②体型はやせ型で、神経質な人に多い、③既往歴として、虫垂手術その他腹部手術を受けた者、肝炎、腎炎、肺結核など慢性消耗性疾患者に多いといつたものがあげられる。ところで病因は一般的にいつて生物的病因(細菌、ウイルス等)、物理的病因(放射線、外力等)、化学的病因(栄養素、化学薬品等)、及び精神的病因(ストレス等)に分けられる。もちろんこれら病因については、その量や作用力の大小といつた条件が加わる。これらの諸要因が一定の割合で一定の組合せになつたとき病気が発生すると解されている。このようにして或る病気が現実に発生した場合、要因となつたものをひろい上げ、その中で最も主要なもの、即ちその因子がなければ、病気は発生しなかつたであろうと思われる必要条件的な因子を病気の主因といい、病気の発生に不可缺ではないが、発生に寄与したと思われる十分条件的因子を病気の副因或いは誘因ということができる。そして主因は単一であるとは限らず、複数存在することがあり得るし、副因、誘因も同様である。ところで急性感染症の場合には、対応する生物因子は単一で単純な病因であることが多く、病因の解明も比較的容易であるが、慢性感染症又は非感染症の場合は慢性的経過をとるため要因も多元的となり複雑でこみ入つた関係を生ずる。

(二) 疫学的認定

〈証拠〉によると、つぎの事実を認めることができる。或る病気について、未知の因子を、その病気の真の病因と認めるためには、①その因子がその病気のすべてまたはそれに近い数の患者に存在し、これから分離されること、②それは純粋に分離培養できること、③培養したその因子は、感染性のある動物で、それと同じまたはそれに近い病気を起すことができること、④その因子は、その動物よりふたたび分離され、純粋に培養できることの四つの条件(コツホの条件)が揃わなければならない。この条件がすべて満たされるとき、その因子をその病気の病因と断定することができる、即ち科学的に因果関係が証明されたということができるのである。この条件は本来は、細菌性感染症に関して考えられたものであるが、その基本は、ウイルス性感染症にも、非感染症にもあてはまる。右条件のうち、①は結果から原因を推測することである。そして右因子がその病気のすべての患者に存在する場合は、その因子について、病因としての因果関係を推測してよいのであるが、一〇〇%に満たない場合でも、他の病気の患者や健康人に比べて有意に高率である場合は、他の要因と競合している可能性がある。この場合は、何パーセントの患者から問題の因子が分離されたかという因子の分離率のほかに、その因子の量と症状反応の程度との相関関係、即ちいわゆるD・R・Rも重視しなければならない。③は、推測した原因から結果が生ずるかどうかの試験であるが、その因子を実験動物に投与しても一〇〇%発症しない場合がある。かえつて、その因子を投与しなくても、与えた場合に比べて有意に低率ではあるが、ともかく発症する場合がある。この場合も他の要因との競合又は併存状態下での発症と解することができるから、このように前記条件が一〇〇%満たされなくても、対象群との間に有意の差が認められるような場合は、直ちに因果関係を否定すべきではなく、科学的知識を総合して両者の関係を洞察しなければならないのである。ところでこのような病因と病気との条件関係は、単一の病因による急性感染症の如き場合には、単純、明確に現われるが、慢性感染症或いは非感染型の疾病の場合には、複雑で判定困難な様相を呈することがある。それは、その経過中に、本来の病因のほかに他の要因が介入、重複する機会が多くなるためであつて、複数の要因が競合又は併存して病気の原因力を左右したり、また一つの病因はそれ自体は、はつきりした結果を生ぜしめるはずのものであるのに、他の要因の影響を受けて生体内では複雑かつ不明確な結果しか現わさないといつたことがあるからである。したがつてこのような慢性的感染症或いは非感染型疾病の場合、前記条件関係が明確でない場合があるからといつて、その因子について病因としての可能性を直ちに否定することはできないのである。もちろんこの場合D・R・Rを検討して慎重に判断すべきである。

以上によると、疫学的方法で病因を探求する場合はつぎのように要約される。即ち前記の条件を一〇〇%或いはそれに近いところで満たす因子が確認されたときは、その因子は、当該疾病の病因でかつ主因であると科学的にも法的にも認定することができる。右の程度に満たない場合であつても、分離率その他について対象群との間で有意の差が認められ、その蓋然性の程度が心証形成上、いわゆる民事確信の程度にまで至つたときは、法的因果関係を認むべきである。問題となる慢性型感染症や慢性的経過をたどる薬物中毒の場合、最終的判定は困難であるが、科学的に判断してその因子については単に可能性があるというにとどまるときは、疾学の面で予防対策を講ずることはよいとしても、法的因果関係を肯定することは無理というべきである。

そして以上の如き方法で因果関係が肯定されれば、病気発生に至るまでの伝染経路や伝染様式等の流行機序(終熄機序)或いは生体内の病理機序までが、すべて解明されなくても法的因果関係を肯定してよいと解すべきである。

(三) 当裁判所の判断

(1) 前記認定によると、スモン患者のうちに約一五%のキノホルム非服用者がいるところからみて、キノホルム中毒説は、前記の条件①を一〇〇%又はそれに近い程度にまで満たしているとはいえず、したがつてキノホルムの毒力や量的条件を考慮にいれても、キノホルムをスモンの唯一の主因とまでは認定することはできない。しかし神経症状発現前六か月以内にキノホルムを服用した者が約八〇%を占め D・R・Rも一部において認められること、販売停止措置後新患者発生数が激減していることなど①を補強する事実が認められるので、これらを総合して判断すると、他の病因との競合又は併存があり得るという状況下で、キノホルムはスモンの病因の一つであると認めなければならない。ただキノホルムが、スモンの複数の主因のうちの一つであるが、副因的なものに過ぎないのか、その場合他の重要な要因は何であるか、またキノホルムが病因となるのは、宿主側の要因(過敏体質)が加わつたためか、或いは他の生物的病因(細菌、ウイルス等)とのかかわり合いによるものかなどについては、本件証拠では明らかにすることはできない。

(2) 一方ウイルス説についてみるに、ウイルスの分離率が約八〇%であること、動物実験で陽性例が認められたことなどからみると ウイルスもスモンの病因であり得ると認めざるを得ないのであるが、前記条件を一〇〇%又はこれに近いところまで満たしているとはいえないから、スモンの唯一の主因として認めることはできない。そしてウイルスが複数の病因の一つとして主因的地位にあるのか、副因に過ぎないのか、キノホルム或いはその他の病因と競合してスモン症状を作り出しているのか、キノホルムに起因するスモンとは別のウイルス起因のスモンが存在するのか証拠上判然としない。そしてスモンの病因が複数存在することは理論的にも否定されないのであるから、ウイルス説が病因として考えられるからといつて、キノホルム中毒説が否定されるという択一的関係になるものでもない。その他の細菌説、代謝障害説等は、スモンの病因としては単に科学的にみて可能性があるという程度にとどまり、法的に因果関係を認定することはできない。

(3) 結局本件において、スモンの病因、ことに病因を一元的に説明することができるいわゆる主因を明確に指摘することは証拠上困難であるが、逆にキノホルムについていうと、それはスモン症状に或る種の役割を果していると認められ、わが国のスモン患者のうち、かなりのものの神経症状は、キノホルムの毒性という病因が、無視することのできない別の病因並びに宿主側、環境側の諸要因と共に集積して発症し、増悪をみたものと認定する、ただしその発生病理機序は現在のところ不明というほかはない。そして右結論は、前記ウイルスもスモンの病因たり得るという認定に抵触するものではないというべきである。

第二被告国の責任

一厚生大臣の行為

厚生大臣が第六及び第七改正日本薬局方に、キノホルムを収載し、また被告会社に対しキノホルム剤の製造、輸入について許可、承認等をしたことなど請求原因第二、一、2、(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

二行政行為の違法を理由とする国家賠償責任

前記認定の如く、昭和三〇年以降に発生したわが国のスモン患者のうちのかなりの者の神経症状は、キノホルムと因果関係があると認められるのであるが、被告国は、原告らに、キノホルム剤の製造許可等厚生大臣の行政行為の違法を理由として、国家賠償法に基づく損害の賠償請求をすることは薬事法の性格からみて本来許されないと主張するのでまずこの点について判断する。

1  被侵害利益について

被告国の主張は、要するに、薬事法の立法趣旨および目的は、副作用のない医薬品の供給を受けうるという個々人の利益を保護することにあるのではないから、原告らが侵害されたとする利益は、いわゆる反射的利益ないし事実上の利益にすぎず、従って、国は、損害賠償責任を負担しないというのである。

しかしながら、原告らは、本件において、単に副作用のない医薬品の供給を受けうる利益を侵害されたと主張しているのではなくて、その固有の法益たる身体そのものを侵害されたと主張して損害賠償を請求していることが明らかであるから、右の被侵害利益が被告国主張のような単なる反射的利益にあたらないことはいうまでもない。ところで、原告らは、厚生大臣がした本件許可、承認行為の相手方ではなく、厚生大臣に課せられている薬事行政の最終対象者たる国民の一員にすぎない。このように、厚生大臣のした行政行為の直接の相手方が製薬会社であり、また薬事行政の目標は国民一般の健康維持増進にあつて、個々の国民に対し副作用のない医薬品を供給すべき具体的な法律上の義務を負つていないという点は承認できるとしても、これらは、厚生大臣の職務上の義務が誰を相手方とし、誰に向けられているかといつた行政行為の相手方、名宛人の問題である。しかしながら国家賠償責任は、公務員がその職務を行なうについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときに生ずるものであり、当該公務員の行為が「違法」と判断される程度のものであれば、その行為と相当因果関係に立つ「他人の損害」を賠償すべきは当然であつて、その損害が、基礎となつた行政行為の相手方の上に生じたか、或いはまた行政行為の名宛人以外の第三者の上に生じたかは問うものではない。したがつて、本件スモン被害について、原告らは厚生大臣がした製造許可、承認行為の相手方でないとか、原告らが医薬品の製造許可、承認制度によつて受ける利益は、一般的、或いは反射的なものであるという理由で、原告らの身体に生じた現実の損害について責任を回避することはできない。被告国のこの点の主張は理由がない。

2  自由裁量行為であるとの主張について

被告国は、厚生大臣の行なう許可、承認は、自由裁量行為であると主張するので、この点につき検討するに、右許可、承認は、後述のように、それがなされる当時の医学、薬学等の科学水準のもとにおいて、当該医薬品の有用性が肯定された場合になされるべきものであると考えられるところ、右有用性は、医薬品のもつ「両刃の剣」的性格から、有効性と安全性を比較考量して評価されるべきものであるから、右有用性の判断は、単なる事実の認定にとどまらない専門的、技術的、合目的的性格を有するものであつて、自由裁量行為としての性格は否めない面があると認められる。もつともその裁量の幅は、安全性の面については狭く、有効性の面では広いということができる。従つて、当該医薬品について許可、承認を与えるか否かは、専門的、技術的、合目的的見地に立つた厚生大臣の合理的判断に基づく裁量にゆだねられているものということができる。

しかしながら、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であつて、厚生大臣が右裁量権の行使としてした許可、承認は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合は、違法というほかない。

そして、本件許可、承認が裁量権の範囲を逸脱した違法なものであることは、後記七記載のとおりであるから、被告国の主張は理由がない。

三注意義務

1  注意義務の根拠

〈証拠〉によると、つぎの事実を認めることができる。

昭和二三年七月二九日法律第一九七号として公布、同日から施行の薬事法(以下旧薬事法という)によると、医薬品の製造業を営もうとする者は、登録を受けなければならず(二六条一項)、この登録を受けた医薬品の製造業者が公定書(日本薬局方又は国民医薬品集)に収められていない医薬品を製造しようとするときは、品目ごとに厚生大臣の許可を受けなければならない(二六条三項)、公定書に収められている医薬品を製造するについては右許可は不要とされていた。そして旧薬事法施行規則二二条は、この医薬品の製造許可の申請に当つては、申請書に、「製造品目の成分及び分量並びに製造法、成分不明のときは、その本質及び製造法、用法、用量及び効能」等を記載しなければならないものとされていた。ところで厚生大臣が、公定書に収められていない医薬品の製造品目を許可しようとするときは、あらかじめ薬事委員会に意見を求め、その建議に基づいてこれをしなければならない(二六条四項)のであるが、しかし一定の医薬品については、あらかじめ薬事委員会が包括的に建議し、この建議の範囲内で、厚生大臣が具体的事例につき許可を与える能率的運用がなされていた。なおその後昭和二四年六月、薬事委員会の名称は、薬事審議会に改められ、ついで昭和二六年に薬事審議会は、諮問機関としての性格を有することになつた。

昭和三五年八月一〇日法律第一四五号として公布、昭和三六年二月一日から施行された薬事法(以下薬事法という)によると、医薬品を業として製造しようとするときは、製造所ごとに厚生大臣の許可を受けなければならない(一二条二項)。そして日本薬局方に収められている医薬品を製造しようとする場合は、単に医薬品製造業の許可を受ければ足りるが、右局方に収められていない医薬品等を製造しようとする者が、製造業の許可を受けるには、一三条二項の基準に適合するほか、品目ごとに厚生大臣の承認を受けることを必要とする(一三条一項、一四条一項)。この製造の承認は、名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査して行う。その際厚生大臣は、中央薬事審議会に諮問することができる(三条一項)。輸入の場合もこれに準ずる。なお旧薬事法の規定により医薬品の製造許可を受けている者は、当該品目について、薬事法一四条の規定による承認を受けたものとみなされることになつている(附則五条)。また国民医薬品集は本法において日本薬局方に統合された。

以上によつて明らかな如く、日本薬局方(国民医薬品集を含む)に収められていない医薬品を製造または輸入しようとする者は、旧薬事法では品目ごとの「許可」、薬事法では品目ごとの「承認」を必要とする。そして右許可又は承認は、厚生大臣が、昭和二五年までは薬事委員会又は薬事審議会の建議を受けて、昭和二六年以降は、薬事審議会又は中央薬事審議会に諮問して行うものであるが、これら公定書に収められていない医薬品は、いわゆる繁用の実績がないため、医薬品としての公的な評価が行なわれていないものであつて、改めてその医薬品としての有用性即ち有効性と安全性について学識経験者の意見を徴して審査をし、有用性が認められれば、これを公認して製造を認めようとするものである。そして、審査の結果、有用性が認められなければ、医薬品としては適当であるとはいえず、保健衛生上危害を生ずるおそれがあるから、「許可」又は「承認」の各申請はこれを拒否しなければならないのは当然である。以上によると、厚生大臣は、公定書に収められていない医薬品の製造又は輸入許可(又は承認)の申請があつたときは、公衆衛生の向上及び増進を図る見地から、当該医薬品についての有効性と安全性について審査をする薬事法(旧薬事法)に基づく、職務上の義務があつたものといわねばならない。

これに対し日本薬局方に収められている医薬品を製造しようとするには、前記の如く、旧薬事法のもとでは製造業の登録を受けた者ならば、自由にこれを製造することができ、品目ごとの製造許可は不要であり、薬事法のもとでも製造業の許可をもつて足り、品目ごとの製造承認を必要としない。しかしながら同法は、局方に収められている医薬品については、製薬業者即ち国民の側からみて製造許可等は不要であるとしているに過ぎず、局方収載の医薬品については、一旦収載すれば後は厚生大臣即ち国側においても審査を要しないとまでいつていない。局方収載にこのような確定効を認める規定はない。医薬品は、本質的に危険を内包し、また医薬品の安全性確認は、学問の進歩と情報の集積によつて深められて行くものであることを考慮すると、局方収載後も引続き安全性に留意する必要があるというべきである。局方収載時に厚生大臣によつて安全性と有効性が審査されることは当然であるが、局方収載と同時に厚生大臣の安全性確認義務が消滅すると解すべきではなく、また事柄の性質上、局方収載によつて或る医薬品の性質が科学的に安全なものに確定するわけでもない。かえつて、局方に収載することによつて、国が公認したという信頼感、安心感が製薬、医療の分野に生じ、これはさらに一般に反映されて行くことが考えられるのであつて、第二次的信頼が発生、増幅される虞れがあつて危険である。したがつて局方収載をした厚生大臣は、或る医薬品が安全かつ有効であることを認めて公示した責任上、収載が継続する限り、収載品についての安全性確認の義務を潜在的かつ継続的に負つているというべく、少くとも収載者としては収載によつて国民に生じた実質的根拠のない増幅された第二次的安心感を再移入してはならないということができる。そうだとすれば局方収載後であつても、特定の医薬品について疑問を生じたときは随時個別的に、局方収載後一定期期間経過したような場合は全面的に審査を行ない、また局方に収められていない医薬品について、製造許可等の申請があつた際は、これを機会に、その医薬品の成分中の局方収載品についても改めて審査を行なうといつたような方法で、時代の変遷に応じた新しい態勢のもとで常に安全性確認を行なう義務を肯定しなければならない。これを認めると、同一医薬品について何度も審査することになるが、資料は常に新しいものがつけ加わつてくるはずである。

また一方薬事法は医薬品の性状及び品質を確保し、これに違反した不良医薬品を排除する取締法規的性格を有しているが、そのような目的に限られているわけではない。厚生大臣が医薬品製造許可等の際、当該医薬品について用法、用量、効能等を審査することになつているのは、安全性確認についての配慮にほかならない。そしてさらに許可についての審査基準が法定されていないということは、審査方法や審査の程度が制限的であつてもよいということではないのであつて、むしろ厚生大臣は、公衆衛生の向上及び増進を図る見地から、その目的達成に必要で効果的であると考えられるあらゆる視点からの審査が可能であり、審査方法については特に制限はなかつたというべきである。したがつてこのような審査規定の非限定性は、薬事行政がその時代における社会情勢に弾力的に対応することを可能にしていると解することができるのであつて、新薬が次々と開発され大量に生産される時代には、医薬品の品質確保目的のほかに濫用、誤用の防止に重点をおいて審査をするといつた弾力的運用が可能であつた。このように薬事法(旧薬事法)は、取締法的性格を基本的性格としているが、それに止まらず、時代に即応した医薬品の安全確認にも配慮した積極的性格をも併せ有していたと解することができるのである。したがつてこれら法規の性格からみても、厚生大臣に前記局方収載の医薬品についての安全性確認義務を認めることは解釈上何ら支障となるものではない。

以上要するに、厚生大臣は、日本薬局方に収められていない医薬品、いわゆる新薬について製造許可等の申請があつたときはもちろん、その医薬品は局方に収められていないが、その医薬品中の或る成分が局方に収められているものであるとき、いわゆる新製剤(例えば本件キノホルム剤)について、製造等の許可申請があつたときは、その申請にかかる医薬品について全体としての安全性、有効性を審査する義務があるというべく、その成分中のあるものが局か収載品(例えばキノホルム)であるからといつて、審査対象を分離し、局方収載品について右の審査を省略して他の成分(例えば賦形剤)についてのみ審査をしたり、局方収載品が主たる成分となつているからといつてその製剤全体の審査を簡略にするといつたことは法律上は許されていないということができる。

2  安全性確認の対象

〈証拠〉を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

医薬品は それが持つている生理活性作用を利用して病的状態にある生体を改善することを主な使命とするものであるが、人体に対し、好ましい作用を持つ点に着目すると、それは人類の生命、健康に不可缺なものと考えられる反面、それ自体は生体にとつて異物であつて、好ましからざる作用を伴なうものでもあるから、人類にとつて危険なものということになるのであつて、医薬品には、このような自己矛盾的性格を本質的に内蔵しているものということができる。またこのような医薬品の性質から導かれる当然の結論として、医薬品の使用量を増加した場合、人体に対する改善作用(有効性)は増すが、好ましからざる作用(危険性)も必然的に増大する、また使用期間についても同様のことがいえるのである。

したがつて医薬品は、使用量が少いと安全であるが作用を現さないし、作用量を増大させて行くと毒性も増し中毒が起るという、使い方により毒にも薬にもなる相対的性質をもつているものということができる。このように医薬品は「両刃の剣」的性格を内蔵しているものということができる。

以上の事実によると、或物質を医薬品として公認するには、その物質のもつ、人体に対する有効作用と危険作用を比較衡量する必要があり、その対比において有用性が決定される関係にあると一応いうことができる。しかし、右は物質をそれ自体として評価した場合であつて、これを使用する場合のことを考えると、有用性は、更に適応性、使用量、使用期間等の面から立体的に判断されなければならない。即ち一応医薬品としての資格が認められたとしても、適応症を間違えて使用すれば話にならないし、使用量が少いときは作用を示さず、多いときは中毒を起すであろうから、無作用量と中毒量にはさまれた当該医薬品の適正な用量の発見が不可缺となる。このように①医薬品としての資格があるか否かの物質自体の性質判定と、②安全有効な使用量、使用期間はどのようなものか、適応症は何かなどの使用上の安全有効領域の発見と設定が必要であつて、これら両面からの検討によつて、始めて医薬品の価値判断が可能になるというべきである。以上の如く医薬品の評価にとつて用法、用量等は重要な要素であり、公定書に収められていない医薬品を公認する場合、これらの点についても、十分判断しなければならないのである。かりに製造承認に当つて、用法、用量等についての判断を誤まり、過大な用量を承認したり、適応しない症状に対し使用できる旨を公認した場合は、過大投与、過誤投与の危険に結びつくのであつて、その誤りは重大であるとみなければならない。旧薬事法又は薬事法が製造許可又は製造承認申請について、用法、用量、効能等を審査する建前になつているのは右の如き理由によるものと解すべきである。

なお薬事法五二条によると、医薬品には、原則として、これに添付する文書(いわゆる能書)に、用法、用量その他使用及び取扱い上の必要な注意その他を記載しなければならないとされている。そして右能書自体は、製造許可又は承認の際の審査の対象とされていないことが明らかである。しかしながら、同法五四条によると、製造承認を受けていない効能若しくは効果、或いは用法、用量等を記載してはならず、これに違反する医薬品を販売、授受したときは、罰則の適用がある(同法五五条一項、八五条三号)。これらの規定からみると、用法、用量、効能等については、製造許可、承認の際、厚生大臣によつて公認されたものが根拠となり、これを基礎として製薬会社が能書に正しく記載して販売する関係にあるというべく、したがつて、右能書自体が、製造許可、承認の際、審査の対象とならないのは、手続経過の関係からみて当然であり、また審査の対象にならないのは、右理由によるものであつて、用法、用量の如き使用時の注意事項的なものは、もともと厚生大臣の行う審査に関係がないということではない。

3  安全性確認の方法

〈証拠〉を総合するとつぎの事実を認めることができる。

厚生大臣は、申請にかかる医薬品について成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査して有効、安全な医薬品であるか否かを判断することになるのであるが、法規上は、まず申請者に、製品に関する文献の写、基礎実験並びに臨床実験等相当と認められる資料を提出させ、これら文献や資料を検討して審査を行ない、また必要と認めるときは、医学、薬学等の権威者によつて構成される、中央薬事審議会(旧薬事法においては薬事審議会)に諮問して答申を求めて審査を行なうことができるとされている。

ところで右審査の対象は、医薬品としての「安全性」といつた極めて抽象的なものであり、これはまた有効性とのかね合いで判断される相対的な概念であるから、判断の幅は広く、したがつてこれが適正を期するには、審査の方法を制限的なものにしておいてはならないはずである。事実薬事法制上には、審査方法について特にこれを制限する規定がない。結局厚生大臣としては、医薬品の安全性確認のためには、無方式による実質的審査義務を負つているというべく、そうだとすれば、申請者が提出した資料に限らず、必要があれば、例えば職権で、資料の追加提出を命じたり、自ら国内外の文献を収集、調査し、或いは他の適当な機関に各種の試験を行なわしめるなど、当該具体的事案のもとで適切と考えられるあらゆる方法をとることが可能であり、またこのような方法を駆使することによつて、審査に万全を期する法律上の要請があつたものといわねばならない。

4  安全性確認の基準

(一) 医薬品は人の生命、身体にかかわるものであるから、法律上、医薬品の安全性確認義務を負う者が、果すべき注意義務は、最高度のものが期待される。そして国は、国民の健康の維持、向上を図るため厚生大臣をして薬事行政を担当せしめていること、厚生大臣は、右目的達成のため、薬事法(旧薬事法)上医薬品の安全性確認を職務上の義務として負わされていること、その反面厚生大臣には、諮問機関として、最高の学識経験者をもつて構成する中央薬事審議会(薬事審議会)の設置が認められ、またその他の権限が認められているなど制度の趣旨目的に照らすと、厚生大臣の医薬品の安全性確認についての注意義務は、その時代における最高の学問的水準に拠つたものでなければならないと解される。

(二) 医薬品の安全性は、有効性とのバランスを考えて判断されるものであつて、それ自体別個独立に判断されるものではないし、また副作用予知の困難性や、医薬品の公共性等被告ら主張の附随的考慮事情のあることを否定するものではないが、これらは、いずれも厚生大臣の前記義務を減免せしめる事由とはとうていなし得ないものと考えられる。

前記の如く、医薬品は、本質的に危険性を内蔵しているものであるが、それでもなお人の生命健康保持のため使用せざるを得ない一見矛盾ともみえる根強い必要性に支えられているものである。そして医薬品は、ある状態におかれた人にとつては生命、健康維持のため不可缺のものとして求められ、また安全で有効なものとしての信頼感のもとで購入される、しかもこれら消費者側には、その医薬品について正しい科学的評価を行なうだけの能力とか資料が不足しているというのが通常であるからこれら立場を考えるときは、前記の如き附随事情を考慮にいれても、なお、製造業者又は許可権者に安全性確認のための最高度の注意義務を認めても何ら公平の理念に反することにならないと解される。

5  厚生大臣以外の者の医薬品安全性確認義務

(一) 製薬会社の義務との関係

製薬会社は、営利を目的として、医薬品を製造、販売していること、医薬品は人の生命健康にかかわるものであること、これを必要とする者は、一般に医薬品の安全性を確認するだけの資料を有していないことなど業務の内容、性質に照らすと、製薬会社は、自己が製造販売する医薬品について、安全なものであるかどうかを確認する条理上の義務があるといわねばならない。これに対し、厚生大臣の義務は、薬事法に根拠をもち、国民の健康増進を図るという公共目的実現のために負わされた義務であるから、両者は根拠を異にするものである。このように、いずれの義務も第一次的なものであり、優劣、順位の関係には立たないと解される。しかし、実質的にみると、本来医薬品の安全性確認は、これを製造、販売する者が、自主的に行なうのが理想であるが、万全を期待できないため、国は、やむなく薬事法制を定め、厚生大臣に前記の義務を負わしめているともいえるから、結局、厚生大臣の右義務は、法律上は第一次的義務であるが、実質は、製薬会社の義務の補充、後見の目的から出発しているということができる。

(二) 医師の義務との関係

医師は、患者の症状に適応する医薬品を、定められた用法、用量に準拠して投与することを業務内容とするものであり、これらが誤りなく行なわれるようにする注意義務がある。しかし医師は一般に、医薬品が公認されたものであれば、それ自体が安全なものかどうか、能書記載の用法、用量等は適切なものであるかどうかまでを確認する義務はないと解される。ところで医師が能書記載の用法、用量、適応症に拠らず、これを逸脱した形で使用した場合 これによつて生じた損害については、原則として製薬業者、ないしはこれを許可した厚生大臣に責任はないというべきである。しかしこれは、能書の記載する用法、用量、適応症が正しい場合についてのみいえることであつて、能書記載の用法、用量等の指定が、すでに安全領域からはずれた危険なものであるときは、その誤つた能書記載の用量を、医師が更に超えて使用したために生じた損害について製薬業者ないしはこれを許可した者に責任はないということはできない。けだし、厚生大臣が公認した用法、用量等がすでに安全領域を逸脱したものである以上、これを守つておれば被害は生じなかつたという関係が明らかにならない限り、原因は右公認にかかる用法、用量自体にあると理解せざるを得ないからである。また医薬品によつては、薬用量と中毒量とが極めて接近するものがある。この場合、能書に単に常用量のみの記載があるに過ぎないとき、医師は症状の程度によつては、危険を認識せずに、能書記載の常用量を超えて投与をすることが考えられるが、この場合、そのために生じた損害を、能書記載違背として医師のみに負わせるのは明らかに妥当でない。危険に対する警告を明らかに記載しない能書は、正しい能書とはいえず、これが厚生大臣の製造許可の内容に由来しているとすれば、厚生大臣の責任にまで遡ることになると解されるのである。

四予見可能性

1  予見可能性の程度

医薬品被害について、供給者側に過失があるというためには、現実に生じた被害そのものを予見することが可能であつたか、或いは現実に生じた被害そのものを予見することはできなかつたとしても、これに近似又は関連する障害を予見することが可能であつたことを要する。この場合近似又は関連する障害というのは、現実に生じた被害と同一組織ないしは同一系統の障害であることを必ずしも必要とするものではなく、組織又は系統を異にする障害であつても、現実に生じた被害と種類又は症度において関連する障害を予見できれば足るというべきである。けだし、生体内の組織、系統は理論上は分けて考えることができるとしても、現実には密接に関連し、同一病原体による疾病でありながら、条件次第で異なる組織系統のうえに発症をみることがあり得るから、組織別、系統別に分けて考えるといつてもそれ程適切であるとはいえないからである。したがつて、かりに或る医薬品について下肢の麻痺が生ずるという知見があつた場合、同一系統(神経系)内の出来事として、現実に生じた上肢の麻痺被害について予見可能性を肯定すべきであるし、系統を異にしても種類又は症度が同程度の他の障害について予見が可能であつた場合、例えば肝臓、腎臓等の内臓障害或いは胃の発作や糖尿病症状を引きおこすなど情報があつた場合、現実に生じた腹痛、下痢などの腹部障害について系統別に分類するまでもなく予見可能性は認められてよいし、更に進んで重要部分の身体障害という関連性を認めて下半身の麻痺や知覚異常等の神経障害についても予見可能性を肯定することができるというべきである。

更にまたかりに、或る医薬品がaとbの成分で構成されているとした場合、aの成分によつてAなる障害が生ずるという情報が存在していたにも拘らず、何ら危険回避措置をとらずにこれを販売した結果Bなる被害が生じた。しかしBの被害は、aによるものではなく、bに基因するものであつたというような場合、或いはまた、Aも実はaによつて生じたものではなく、bに基因する障害であることが、被害発生後に判明したというような場合が考えられる。しかしこのような場合でもAとB間に前記の如き関連性があれば予見可能性は肯定されてよいのであつて、原因となつた成分や発病機序まで予見する必要はないというべきである。要はAなる障害を予見しながらBなる被害発生を阻止しなかつた者に対する法的評価の問題であり、かかる法的評価を行なうについて医薬品の成分中の原因物質や病理機序の認識にまでふみ込む必要はないからである。

しかしながら医薬品には、何らかの副作用を伴うことが多いことから、副作用があるかも知れないとか、何らかの影響が予想されるといつたような漠然たる危惧感程度の予測では、現実に生じた結果について予見可能性ありということができないのはやむを得ないというべきである。

2  予見可能性を判断する基準時

原告らは、厚生大臣が昭和二六年三月の第六日本薬局方改正の際に、キノホルムを収載した行為のほか 同時期以降の製造許可等を問題としている。しかしながら前記認定の如く、厚生大臣は、局方収載品についても潜在的かつ継続的確認義務を負い、局方収載品をその成分とする新製剤について製造許可等の申請があつたときは、右義務は顕在化し、局方収載品も含めて、新製剤の成分全部について審査をする義務があつたと解されるから、厚生大臣がした行為のうち、本件キノホルム剤の製造許可行為について過失の有無を判断すればよいわけである。よつて本件製造許可等の時点で予見可能性を判断することとするが、医薬品に関する情報は時の経過とともに増加し、研究も進展することが明らかであるから、本件製造許可等のうち時期的に最も古い昭和二八年四月を基準時として予見可能性を判断することとする。

3  昭和二八年四月当時、すでにつぎのとおりキノホルムの毒性、副作用、適応性ないしは使用方法に関する知見或いは文献が存在していた。

(一) キノホルムは、かつて劇薬の指定を受けたことがあり、作用に劇性のある薬品である。

〈証拠〉を総合するとつぎの事実を認めることができる。

キノホルムは、昭和一一年一〇月一日より施行の内務省令第一九号をもつて劇薬に指定された。劇薬或いは毒薬とは、少量で危害を生ずる虞れあるもの、中毒量と薬用量の極めて接近せるもの、慢性中毒、その他連用により危害の生ずる虞れのあるもの等を指し、成人経口致死量一g以下のものを毒薬、一g以上一五g以下のものを劇薬とする、人の致死量に関する文献のよるべきものがない薬品については、やむをえないから、動物に対する致死量を参照し、大体において動物体重一kgに対し、経口致死量二〇mg以下のものを毒薬、同様経口致死量三〇〇mg以下のものを劇薬とすることになつていた。もつとも劇薬といつても、医薬品としての効用がないとか、危険であつて使用できないという訳ではなく、一般には厳格に設定された安全領域内で使用する限度では医薬品としての価値を有するものである。ところで、昭和六年(一九三一年)、H・H・アンダーソン外は実験生物医学会会誌(二八巻四八四頁)中、「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」においてヨードクロルオキシキノリンは、モルモツトに対し、LD50の経口投与量が二〇〇mg/kgより少い旨を報告し、またN・A・デイヴイドらは、昭和一九年(一九四四年)アメリカ熱帯医学雑誌(二四巻二九頁)中、「ヨードクロルハイドロキシキノリンとジヨードハイドロキシキノリン・動物での毒性とヒトでの吸収」において、ヴイオフオルムの経口投与時のLD50はモルモツトで約一七五mg/kg、子ネコで約四〇〇mg/kgであることを報告し、更にスイス・チバ社の昭和一九年(一九四四年)、昭和二四年(一九四九年)及び昭和二七年(一九五二年)の各社内実験でも、ヴイオフオルム及びエンテロヴイオフオルムで家兎及びマウスについて経口投与LD50三〇〇mg/kg以下の結果を得ている。したがつて、キノホルムは、劇薬として指定されても何ら不合理ではない医薬品であつたにも拘らず、昭和一四年一一月九日公布、同一五年二月一日より施行の厚生省令第三六号をもつて、劇薬指定を解除された。そして同時に、同年の第五日本薬局方一部改正において、局方に収載された。右キノホルムの劇薬指定解除及び局方収載は、キノホルムの劇薬指定が誤りであつたことが判明したとか、安全性が確認されたことによるのではなく、結局柄、国産医薬品の製造並びに使用の奨励を目的としたためと推測される。したがつて、右劇薬指定解除後といえども、キノホルムは依然として劇性の強い薬品であることには変りなく、その取扱い、使用については充分な注意を要する薬品であつたというべきである。事実、昭和一六年(一九四一年)の福田好輔「劇薬・毒薬・普通薬対照表」及び昭和二四年(一九四九年)の伊沢凡人「病気の知識と正しい薬の用い方」では、右劇薬指定解除後もキノホルムを劇薬として記載していた。また劇薬指定を削除した後に制定された第三改正日本準薬局方もキノホルムについて一回0.3g、一日1.0gの「極量」を記載していた。

(二) キノホルム剤を治療のため経口的に使用する場合、毒性に関し、或いは適応性、用法、用量等に関し、内外の局方注解書、著名な教科書、文献等ではつぎのように記載されており、また無規制な使用を戒める警告が存在していた。

〈証拠〉を総合するとつぎの事実を認めることができる。

(1) 昭和五年(一九三〇年)のドイツ薬剤師会編集のドイツ薬局方追補では、キノホルムは劇薬とされ、極量を一回0.3g、一日1.0gと定めていた。

(2) 昭和五年(一九三〇年)の日本薬学会編日本準薬局方、昭和八年(一九三三年)の同第二改正日本準薬局方、昭和一六年(一九四一年)の同第三改正日本準薬局方では、キノホルムの極量をいずれも一回0.3g、一日1.0gとしていた。

昭和二四年(一九四九年)清水藤太郎編著の注解第五改正日本薬局方は、キノホルムの常用量として一回0.25g、一日0.75gとし、昭和二六年(一九五一年)清水藤太郎外共編の注解第六改正日本薬局方では、常用量は一回0.2g、一日0.6gとしていた。

(3) E・バロスは、昭和一〇年(一九三五年)に、セマナメデイカ誌(三月二一日号九〇七頁)に、「増えゆくアメーバ」と題する報告をしたが、その中で、キノホルムの服用量を一日当り0.75gとするよう警告した。

(4) 昭和一六年(一九四一年)のL・グツドマン、A・ギルマンの「治療学の薬理学的基礎」第一版は、キノホルムの用量は、一日0.25gを三回または四回投与するが、これが一コースである。このコースを繰返す前に少くとも一週間から一〇日間の休薬期間をおくべきである旨記載している。

また適応性として急性又は慢性の腸アメーバ症だけに有効と記載している。

(5) 昭和一六年(一九四一年)の非凡閣薬学大全書では、キノホルムの用量を一日0.3ないし0.5gとしていた。

(6) N・A・デイヴイドは、昭和二〇年(一九四五年)にアメリカ医師会雑誌(一二九巻五七二頁)に掲載した「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」と題する論文でつぎのようにのべている。

現在数種の有効な殺アメーバ剤が手に入る。米国薬局方は、キニオフオン、カルバルゾンおよび塩酸エメチンを収載しており、N・N・Rはヴイオフオルム、ジョードキンおよびアセタルゾンを殺アメーバ剤として認めている。これらの薬物は、もともと毒性があり、予期せぬ副使用を生ぜしめることがあるから、それらの使用はある一定の規則に従うべきである。即ち①治療は一〇日から一四日の短期間に制限すべきである。②これら経口殺アメーバ剤のうちいずれかにより、更に別の治療コースを始める時には、少くとも二〜三週間の休薬期間をおき、糞便がアメーバ陽性であることを確認しておかなければならない。③ヨウ素含有化合物のキニオフオン、ヴイオフオルム、ジヨードキンおよび砒素剤のカルバルゾンとアセタルゾンは、肝障害又はその疑いのある患者や、薬物過敏性を有することが分つている患者には禁忌である。④これら薬物のうちの何れをも、非アメーバ性下痢の治療に対し、経験的に使用すべきではない。

(三) キノホルムは、つぎのとおり、経口投与された場合は吸収され、人体の各部位に対し、障害を与え、或いは副作用をもたらす報告が古くから存在していた。

〈証拠〉を総合するとつぎの事実を認めることができる。

(1) E・ターフエルは、明治三三年(一九〇〇年)、ドイツ外科雑誌(五五七頁)に「ヴイオフオルムに関する細菌学的臨床的研究」と題する報告をしたが、その中で、動物実験の結果、キノホルムは皮下投与でも吸収される、腹腔内投与において、ヨードフオルムと同様の神経毒性を示す、また外用の消毒薬としての臨床試験をしたところ、持続性ではないが、時折明らかな体温の上昇並びに脈博増加、敏感性を伴なう局所の軽度の腫脹が観察されたと報告している。

(2) N・A・デイヴイドは、

昭和八年(一九三三年)アメリカ医師会雑誌(一〇〇巻一六五八頁)中、「ヨードクロールハイドロキシキノリン(ヴイオフオルム)によるアメーバ症の治療」の中で、キノホルムをモルモツトに投与したところ、二〇〇mg/kgで四日間に二〇匹中、一三匹が死亡したこと、死亡した動物には、肝臓に脂胞浸潤や小さな壊死部分が認められ、尿細管にもいくらかの障害がみられたことを報告し、したがつて、キノホルムは胃腸管から吸収されること、人に投与する場合は、投与中、及び投薬後も、肝障害の徴候の有無について、注意深く患者を観察すべきである旨、

昭和一九年(一九四四年)アメリカ熱帯医学雑誌(二四巻二九頁)中、「ヨードクロールハイドロキシキノリンとジヨードハイドロキシキノリン・動物での毒性とヒトでの吸収」の中で、ヴイオフオルム投与後、死亡した動物に若干の肝障害が認められた旨、またヴイオフオルムを投与された人に肛門掻痒感がみられた旨、

昭和二〇年(一九四五年)前述の「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」の中で、ヴイオフオルムは、肝障害又はその疑いのある患者や、薬物過敏性を有することが分つている患者には禁忌である旨をのべている。

(3) C・D・リークは昭和七年(一九三二年)アメリカ医師会雑誌(九八巻一九五頁)中、「アメーバ症の化学療法」の中で、キノホルムを投与して死んだ動物に肝臓障害がみられた、このことにより、この薬剤を、肝臓の疾患がある時に使うことに対しては、注意が払われるべきである旨をのべている。

(4) H・H・アンダーソン外は、昭和九年(一九三四年)アメリカ熱帯医学雑誌(一四巻二六九頁)中、「抗アメーバ剤の副作用」と題する報告において、キノホルム経口投与後、腹痛、下痢、はなはだしい鼓張を伴つた激しい胃の不調、動悸、呼吸困難を認めた旨をのべている。

(5) 徳山康秀は、昭和一一年(一九三六年)治療学雑誌(第六巻一三二一頁)中、「腸疾患とヴイオフオルム」と題する報告において、服用後、稀に胃部膨満感と軽度の灼熱感、及び食欲不振を訴えるものがあつた旨をのべている。

(6) 田辺操は、昭和一五年(一九四〇年)治療及処方(第二一年第二一巻)中「アメーバ赤痢の化学療法」と題する報告において、副作用としては、極量の場合、稀に腹痛、頭痛、下痢、悪心、心悸亢進、呼吸困難がある旨をのべている。

(7) 高瀬豊吉は、昭和一六年(一九四一年)「化学構造ト生理作用」の中で、ヴイオフオルムには、甲状腺中毒症状を呈する報告がある旨をのべている。

(8) L・グツドマン、A・ギルマン共著の「治療学の薬理学的基礎」第一版昭和一六年(一九四一年)には、キノホルムの毒性として胃腸症状が幾分増加することがあり、患者二〇名中一名程度は激しい胃の障害があつた旨の記載がある。

(9) 第一版国民医薬品集解説(昭和二四年)緒方章監修には、キノホルミン(キノホルム剤)について、動物実験では、連用により腎細尿管障害や肝臓の脂肪変性等を認めたというデイヴイドの昭和八年(一九三三年)の実験結果を紹介している。

(10) 奥津注は、昭和二五年(一九五〇年)「キノホルムの肺結核患者下痢に対する使用効果に就て」(日本臨床結核昭和二五年四月所載)の中で、キノホルムを極量使つた場合、稀に腹痛や下痢がみられる旨をのべている。

(11) W・T・ハスキンス外は、昭和二五年(一九五〇年)アメリカ熱帯医学衛生学雑誌(三〇巻五九九頁)中、「放射性ヨウ素によつて測定したウサギでの「ジヨードキン、ヴイオフオルムおよびキニオフオンの生理的性質」という報告で、キノホルムは、腸管から体内に比較的早く吸収されることを明らかにした。

(12) メルク社のメルク・インデツクス第六版昭和二七年(一九五二年)には、キノホルムの毒性として、下痢と腹痛を、また禁忌として、ヨード不耐性と肝障害を掲げている。

(四) キノホルムについての神経毒性の報告が戦前から存在し、その中には、服用によつてスモンと同一或いはスモン様症状が発現する旨の記載があつた。

〈証拠〉を総合するとつぎの事実を認めることができる。

(1) M・J・ホーグは、昭和九年(一九三四年)アメリカ熱帯医学雑誌(一四巻四四三頁)中に「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺(砒化トリチオサリチル酸 カルバルソン、クルチ沃化ビスマス塩、プロパルサミド、ビオホルム)」と題する報告を発表した。その中で、カルバルソンとプロパルサミドは、既に一万分の一の希釈で、何らの作用を示さなかつた。砒化トリチオサリチル酸、クルチ沃化ビスマス塩及びビオホルムが、五万分の一の希釈で、組織に障害を与えているが、神経組織に対する傷害度は、キノホルムが最大であつた旨をのべている。

(2) P・B・グラヴイツツは昭和一〇年(一九三五年)、セマナ・メデイカ誌(二月一四日号五二五頁)に「アメーバ症の治療における新しいオリエンテーシヨン」と題する報告を発表した。この中でビオホルムの主要な副作用は、便秘であること、続用の結果、心悸亢進、疼痛、膨満感、など様々な異常を伴つて鼓張が突発する虞があること、いくつかの症例では、激痛を伴つた大腸発作や、嘔吐を伴つた胃発作が観察されたこと、一例においては、横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺症状と聾感の発現を観察することができたなどを報告している。

(3) E・バロスは昭和一〇年(一九三五年)に、セマナ・メデイカ誌(三月二一日号九〇七頁)に「増えゆくアメーバ」と題する報告をした。この中で三一才の既婚女性が、ビオホルム0.5g入りを一日三回服用したところ、三日後に胃痛、嘔吐、頭痛を起し、その後足がまるで死人のような気持ちになつた。一〇日の服用で中止したところ、少しよくなつた。……七日後ビオホルムを再服用したところ、一〇日後に嘔吐と腹痛が生じたので服用を中止した。……その後服用を再開したところ、腹痛と手足の下部の感覚機能の極端な混乱をおこした、症状は日増しに悪くなり、彼女は足をひきずりながら、壁に伝わつて歩き、四回も床に転倒したという内容の症例を紹介している。またこの症例によく似ているが、それ程重篤でない例として、四五才の人が同様の要領で手当をうけたが、部分麻痺の状態と糖尿病を伴なう異常感覚症状が現れたと記載している。

(4) アレマン外は昭和一四年(一九三九年)、スイス・チバ社において「サバミンおよびヴイオフオルムの合剤(エンテロ・ヴイオフオルム)に関する研究」と題する報告をした。この中でキノホルム剤を投与された実験動物(ネコ)について、けいれんが出現し、歩行は硬直性、動揺性であつた、約二時間後に著しいけいれんが現れた、運動は不確実で、よろめいて歩行した、動物は口から泡を吹きはじめた、強度の流涎および著しい呼吸促進を示した、などの症状について報告している。

(5) ベルモント外は、昭和一九年(一九四四年)、スイス・チバ社内において「ウサギに対する各種のブロムクロールオキシキノリンおよびエンテロ・ヴイオフオルムの毒性」なる研究を発表した。この中で、この二つのハロゲン化オキシキノリンのウサギに対する神経毒性について、中毒像に関する明白な相違は存在しない、外面的な中毒症状はただ稀れにしか現れない、そして大低は、麻痺状態として発現すると報告している。

(6) R・J・ヴアキルは昭和二〇年(一九四五年)インド医学雑誌(八〇巻一四七頁)の「エンテロ・ヴイオフオルム錠の耐容性」において、長期服用の後、歩行中および階段の昇降に当つて、過度の疲労を訴えた症例を報告している。

4  予見可能性についての判断

(一) 以上によると、前記基準時以降に、本件スモンの予見は可能であつたというべきである。

(1) 前記認定の如く、キノホルムは、服用によつて、肝臓や腎臓に対し障害を与え、また腹痛、下痢、胃の不調、頭痛、動悸、呼吸困難、甲状腺中毒症状等を引き起こすこと、更には、横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺症状と聾感、或いは手足の感覚異常、糖尿病を伴う異常感覚等を発症させることが予想できたというべきであり、これらの症状のうちには、本件現実に発生したスモン症状と同様、或いはこれに近似した同種類の症状が認められ、またその症状も、同一系統内に属する障害、又は同一部位に生じた症状とみられるものがあり、更に、障害の程度から対比してみても、必ずしもありふれた軽微な副作用的なものばかりではなく、スモンと比べても劣らない程度の重篤障害事例が存在するのであつて、本件スモンの症状と、近似性又は関連性が認められる。したがつて、これら症状の発生が予想された以上、本件スモン被害について予見可能性は、十分に肯定すべきである。

(2) また前記の如く、キノホルムは、実質的に劇薬に近い、作用の劇しい医薬品であつて、したがつてこれを使用する場合、種々の制約を必要としたものというべく、このことは、当時の文献集積の状況、その他諸般の事情から、認識は十分に可能であつたといわねばならない。

そしてキノホルムが、劇薬に近い薬品であるとすれば、これを治療のため経口投与するには、①適応性を適切な範囲に限定し、投与対象範囲を拡大しないようにすること、②用法、用量の指定を厳格にし、過剰ないしは長期投与に陥らないようにすること、③副作用或いは禁忌についての情報告知を明確にし、安易な使用に対し警告すること、などの配慮が必要であつたというべきである。

したがつて、医薬品としての価値を認めるとしても、①適応症は、腸アメーバ症等に限定し、原因未確定の下痢、腹痛などに拡大しないようにする、②常用量は、成人一日0.6g、極量は一日1.0gであることを明らかにし、二週間以上連続使用しないようにするなど、安易な増量使用を禁ずる、③副作用として、下痢、腹痛等がみられること、禁忌として、肝障害その他を明記するなど、キノホルム剤が医薬品として使用されるための厳重な安全領域の設定が必要であつたといわねばならない。換言すれば、厚生大臣としては、このような安全領域のわく内において、本件製造許可は、承認を行なうべきであつたと解されるのである。

そして、このような安全性確保のための適切な限定をしないとすると、これら薬剤が、安全なものとして製造、販売され、事情を知らない者によつて、右領域を超えて使用されることは、容易に予想されるところであつた。そして本件キノホルム剤が、安全領域外に拡大して使用されるときは、医薬品が潜在的に危険性を有しているということから考えても、人体に対して、或る種の障害が生ずるかも知れないと予想するのは自然であり、更に、神経に対する毒性がある旨の情報があれば、宿主側の要因や、その他の要因との競合次第によつては、神経系に対し、重大な障害を引きおこすこともまた当然の結果として、予想し得たものといわねばならない。結局、用法、用量等についてみても、キノホルム剤を、危険領域で使用すれば、人体の重要な部分に、重篤な障害が発生するということを予見することは可能であつたといわねばならない。

(二)(1) 被告は、当時前掲各文献の入手は事実上不可能であつたと主張するが、文献の趣旨に照らし、必ずしも不可能であつたとはいえず、自ら調査するほか、申請者に命じて、文献調査等をさせることもできたはずであるから、右主張は理由がない。

(2) また前掲各文献は、ほとんどが、結論的には、キノホルムの安全性、有効性を支持しているものであつて、危険性にふれた個所があるとしても、文献全体の位置づけとしては、部分的であり、重要でないというが、右危険性に関する部分が、報告の結論に沿うものであるかどうかはともかく、危険性にふれた記載が存在し、それが客観的記述である以上、当該部分も、それ自体文献的価値を有するものというべきである。

(3) 更に右文献に紹介された副作用は、ありふれたものであるというが、副作用の存否、内容の情報が必要なのは、医師やこれを使用する者であつて、医薬品の製造、販売、或いはこれを許可する者は、正確にこれらの情報を、使用者に告知すべきであり、製薬等の段階で、これら情報を、取捨選択して提供することは本来許されないばかりか、前記認定の副作用の内容は、通常医薬品を摂収した場合にありがちな不自然感、不快感的な種類の症状とはとうていいえず、その程度も、軽微で一過性の如きものでなく、当該医薬品の安全性判断のための、重要な情報としての価値を否定することはできないものである。また右に表れたキノホルムの副作用等が、キノホルム成分中の、キノリン核自体の毒性によるものか、側鎖の働きによるものか、或いはまた特定の分子(例えばヨード)の性質によるものか議論があるが、その医薬品として危険性を予告する情報が存在するかどうかが重要であつて、その作用がキノホルムの成分中のどの分子によつて生ずるかまで認識、予見する必要はないと解すべきことは既にのべたとおりである。

(4) また被告らは、キノホルムは、繁用されていたというが、疑問の余地がない程、有用な医薬品として広く使用されていたという事実は認められない。またキノホルムの安全性を認めた文献が多数存在していたと主張するが、かりにそうであつたとしても、危険を予告する文献を、無視してよいということにはならない。この場合、通説とか多数説は安全性確認の場合あまり意味はないのであつて安全性を確認した情報が、危険性を告げる情報より量的に多ければよいというものでもない。たとえ一片の情報であつても、それが重大な危険に発展する可能性を告げるものであるときは、これに対し万全の注意を払うべきである。

(5) その他被告らの主張は、前記認定ないし法的判断を左右するものではなく、いずれも理由がない。

五結果防止可能

前記の如く、キノホルムの危険性を認識することができたときは、厚生大臣としては、キノホルム剤の製造、輸入等の許可、承認を却下するか、かりに医薬品としての価値を認めるとしても、用法、用量、効能等を、前述の安全領域の範囲内に限定し、その範囲内でのみ許可、承認をすべきであり、そのようにすることもまた可能であつたというべきである。そのほか、右医薬品の安全性確保のための条件を付すること、例えば、文献や副作用報告の事後提出義務を付加することも可能であつたといわねばならない。

六注意義務懈怠

1  〈証拠〉を総合すると、厚生大臣は、キノホルムが神経系に対し、毒性を有すること、したがつて、安全領域を超えて用法、用量、効能を公認するときは、本件スモンの如き、重篤な神経障害を生ずることを認識すべきであつたのにこれを怠り、つぎの如き内容の許可、承認をした。

(一) 被告田辺の別紙(一)の各製造許可・承認申請に対し、常用量は、いずれも成人一日キノホルム量で一g以下としているから特に問題はないが、症状により増量できるとしており、1.0gを超える量の投与についても、これを許容し、危険性の警告をせず、また適応症も、各申請に共通のものとしてアメーバ赤痢のほか、神経性下痢、悪性下痢(急性及び慢性)、夏季下痢、腸カタル(急性及び慢性)、大腸カタルをあげ、複合エマホルム、エマホルムSについては更に、食中毒、腹痛、けいれん性便秘、消化不良、胃痛、胃カタルを加え、これら用法、効能について有効である旨公認し、副作用の存在又は禁忌に関する効果を積極的に認めなかつた。

(二) 被告武田の別紙(一)の各製造許可申請に対し、常用量は、いずれも成人一日キノホルム量1.5gまでを許し、また重症の場合等は、同じく3.0g〜4.5gまで増量できるとし、いずれも1.0gをはるかに超え、適応性も、アメーバ赤痢のほか、大腸炎、胃腸炎、下痢、夏季下痢、消化不良に有効である旨公認し、副作用の存在、又は禁忌に関する効果を積極的に認めなかつた。

(三) 被告日本チバの別紙(一)の各製造許可、輸入、製造承認申請に対し、常用量は、メキサホル散チバを除くその余の医薬品について、成人一日キノホルム量1.2g〜1.5gまでを許し、重症等の場合は同じく1.6g〜4.5gまで増量できるとし、いずれも1.0gをはるかに超え、又メキサホルム各剤について、アメーバ性疾患の多い地域では、たとえ治ゆが認められても、なお少くとも一週間投薬を続けることが望ましいとし、適応性も、アメーバ赤痢のほか、急性・非特異性下痢、慢性再発生下痢、夏季下痢、大腸炎、腸炎、小腸大腸炎、胃腸炎に有効である旨公認し、副作用の存在又は禁忌に関する効果を積極的に認めなかつた。

2  前記被告各社に対する製造許可等は、用量について、キノホルムの極量として考慮すべき一日1.0gを超えるものがあり、用法についても、制限期間の定めなく、過剰ないしは長期投与に陥る虞れのあるものであり、適応性については、腸アメーバ赤痢その他限定された疾患以外のものを掲げ、更にキノホルム服用の副作用として予想される胃腸の不調、下痢一般にまで適応症を拡大し、また副作用及び禁忌に関する記載がないといつた キノホルムについての安全領域をはるかに逸脱した危険な内容をもつものであることが明らかである。なお、キノホルムという同一有効成分を主成分とする医薬品でありながら、製剤によつて用法、用量、効能にかなりの違いがあるが、このことについて、合理的な説明はできない。

七国の責任についての結論

以上を総合して判断すると、厚生大臣の本件製造許可、輸入又は製造承認は、キノホルム剤が、医薬品として使用される場合の安全領域をはるかに逸脱した範囲にまで有用性を公認しており、社会観念上著しく妥当を欠いたものというべく、医薬品の有用性を判断する場合の裁量権の範囲を逸脱した違法な処分というべきである。そして前記認定にかかる注意義務の内容、予見可能性等を総合評価すると、右違法な処分をしたことについて、当時の厚生大臣には過失があつたと認定するのが相当である。

被告国は、本件スモン被害は、医師によるキノホルム剤の大量投与に原因があるから、右過失と結果の間に相当因果関係はないと主張するが、本件厚生大臣の許可、承認内容は、すでにキノホルム剤としての安全領域を超えた危険なものであり、本件では、右公認にかかる用法、用量を守つておれば右被害は発生しなかつたという関係が認められないから、同被害は、安全領域を逸脱した厚生大臣公認の右用法、用量から発していると解すべきであり、許可、承認と結果の間に因果関係を否定することはできない。本件医薬品が、アメーバ赤痢の如きものに限り適応すること、劇薬に近い作用をもつこと、極量は一日1.0gであることなどを公認し、これがかりに一つでも能書に明らかに記載されていたならば、本件スモン被害の如き重篤かつ大量の患者発生はなかつたと考えられるから、被告国のこの点の主張は理由がない。

第三被告会社の責任

一被告会社の行為

右被告会社が、厚生大臣の許可、又は承認を得て製造、又は輸入した別紙(一)記載のキノホルム剤を、自社みずから、或いは他社から購入して販売した旨の請求原因第二、一、3、(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

二注意義務

1  医薬品製造業者の注意義務

(一) 既に指摘したとおり、医薬品は、自己矛盾的もしくは両刃の剣的性質を有するものであつて、医薬品の安全性は、右のような医薬品の有する性質の故に、かえつて一層厳密かつ慎重に確保されるべきものということができる。そして、医薬品が大量に消費される現代社会において、安全性につき十分な確認がなされないまま一般の流通におかれた場合、一般消費者としては、医薬品の安全性につきこれを判定する能力を殆んど欠いており、そのため医薬品製造業者を信頼するほかない状況にあることに照らすと、安全性に欠陥のある医薬品のもたらす被害は、質量ともに測りしれないものとなるおそれが多分にあるといわなければならない。

右のように、医薬品の性質、一般消費者のおかれた無防備ともいうべき立場、及び安全性を欠如した医薬品のもたらす結果の重大性に照らし、また薬品製造業者は、医薬品を製造、販売することによつて利潤を得ていることに鑑みると、医薬品製造の業務に従事する者には、その安全性確保について、条理上の注意義務が課せられているというべきである。

また、右製造業者に課せられる注意義務は、日本薬局方(又は国民医薬品集)に収められている医薬品であると、そうでないものとで差異はなく、およそ製薬業者が製造する医薬品は、いずれも安全なものとして販売され、消費者もそのような信頼のもとで購入するものであるから、すべてに安全性確保義務が負わされているものと解さなければならない。薬事法(旧薬事法)では、公定書に収載されている医薬品を製造しようとする者は、製薬業の登録又は許可を得るをもつて足り、製造そのものについての許可、承認を必要としない。しかし、公定書に収載された医薬品については、一応有用なものと考えるのが自然であるが、前述したように、公定書の収載は、当該医薬品が安全であることを確定する効果をもたらすものではないから、公定書に記載のない医薬品と比べて、危険性については本質的に差異はないはずである。したがつて、これら行政法規上の定めが限定的であるからといつて、製薬業者の義務までもが限定的になると解することはできない。製薬業者の義務は、自己が製造、販売する製品のすべてについて包括的に負わされていると解するのが相当である。

(二) 医薬品の製造業者が、医薬品の安全性確保に関し、考慮しなければならない事項、確認の対象、確認方法、義務の程度等については、いずれも国の責任のところで述べたのと同趣旨である。

結局、医薬品製造業者の医薬品安全性確保義務は、医薬品が直接人の生命、健康にかかわるものであることに照らすと、最高の学問的水準に拠つたものでなければならず、その義務の具体的内容は、厚生大臣のそれよりも更に制約は少なく、包括的であつて、医薬品自体について科学的な確認をする、用法、用量、効能をはじめ正しい使用上の指示をする、流通においた後でも使用状況を追跡調査する、場合によつては警告を発する等安全性確保のために必要と考えられる可能な限りの方法をとらなければならないと解される。そしてそのためには、自ら、又は系列化、提携化された企業の場合は、連携会社に依頼して、文献調査や、各種試験を行なうこともまた場合によつて必要というべきである。

(三) 医薬品製造業者の注意義務と厚生大臣及び医師のそれとが、それぞれ独自のものであることは、既に指摘したとおりである。

したがつて、医薬品の製造許可、承認の際、厚生大臣に安全性確認義務が課せられていることを理由に、医薬品製造業者において、自分にはこのような安全性確認義務がないとか、厚生大臣が許可、承認を行なつたから、自己の確認義務は消滅したという理由で、その責任を免れることはできない。

(四) なお、医薬品を業として製造しようとする者は、旧薬事法では、登録、薬事法では許可を必要とする。医薬品が国民の生命、健康、衛生にかかわるものであるところから、製造業者の構造設備の状況、人的適格性等を掌握する目的で、このような制度が設けられた。ところで、これらの法律でいうところの製造とは、①原料から医薬品を作る、②医薬品に他の医薬品又は或る物質を付加、混合して別の医薬品を作る、③原末状態にある医薬品を、打錠、又は小分けして、製剤化された医薬品にすることを指すものと解する。そして、右①から③までの業務を一貫して行なう場合は勿論であるが、他から購入した医薬品を使用して、②と③、又は③のみを行なう行為もまた製造にあたると解すべきである。いずれも、医薬品が一般の需要に応じて流通におかれる前段階として把えられる重要な行為であるからである。医薬品の製造業者としての注意義務を論ずるについて、医薬品の製造とは、右の如き行為を指すと解すべきである。

この点について、被告武田は、別紙(一)、二記載のキノホルム剤については、被告日本チバの依頼により、同社のキノホルム剤の原末を打錠、小分けしたにすぎない旨主張し、証人武内美次もこれにそう証言している。しかしながら、被告武田は、その主張どおり、キノホルム剤の原末を打錠、小分けしたにすぎないとしても、これが薬事法上の製造にあたることは同被告も自認するところであるから、製造業者としての地位にあつたものと認めるのに十分である。

2  医薬品輸入業者の注意義務

医薬品の製造業者に、前記の如き安全性確保義務が課せられているのは、危険な医薬品が、放任された状態で販売されると、危険を知らない人によつて摂取せられ、その結果、悲惨な被害が生ずる虞れがあるからであつて、商品としての医薬品を、一般流通下においた源泉供給者の立場で把えているものである。このようにみると、輸入業者は、製造には関与していないが、一国を単位として判断すると、まさに源泉供給者であつて、その国内における製造業者と比較しても、供給者としての位置づけに差異はない。したがつて、医薬品輸入業者にも、国内製造業者と同等の安全性確保義務があると解すべきである。薬事法二二条によると、医薬品の輸入販売業も、国内製造業者と同様、営業所ごとに、厚生大臣の許可を受けなければ、医薬品の輸入を行なうことができないと規定されており、薬事法の目的が、輸入業者についても遺憾なく達成されるよう配慮されていることからみても、右の理は、明らかであるといわねばならない。

本件において、被告日本チバは、別紙(一)に記載してある如く、輸入承認にかかるキノホルム剤をも販売しているが、前記の如く、輸入業者もその事業内容に照らして製造業者と同程度の注意義務を負うものと認められるのみならず、同被告は、輸入のみを行なつていた者ではなく、右輸入承認にかかる分以外のキノホルム剤については、右輸入の前後を通じ、その製造業者としての地位にあつたことが明らかである。すると、輸入承認にかかるキノホルム剤についても、実質上、その製造業者と同視しうる地位にあつたと認めても何ら差支えない事情が存在するというべきである。

3  医薬品販売業者の注意義務

(一) 医薬品の単なる販売業者には、原則として、取扱医薬品について安全性確保義務はないと解される。一般には流通過程に生ずる外観から判断される程度の毀損、変質の有無を確認する位の義務は認むべきである。しかしながら、前記の如く、製造業者に医薬品の安全性確保義務が課せられるのは 製造という技術的工程に関与したがためではなく、原因物質を含む瑕疵ある商品を、大量かつ継続的に市中に流通させる、源泉供給者としての行為を被害の出発点として把えたことによるものであるから、医薬品製造という技術工程に関与しない者であつても、一国単位でみた場合に、源泉的な供給者と同視される者、例えば輸入販売業者にも、同様の注意義務が課せられてよいはずである。更に、自己の製品を製造し、これを市中に販売するための販売経路を維持し、また、自社商品について、一般に認識されたブランドを保有している医薬品の製造販売業者が、他社の製造にかかる医薬品の発売元となつて、これを販売する方法が行なわれているが、このような、自社商品について、源泉供給者の地位にある者が行なう他社製造品の一手供給行為は流通機構からみて、他社製造品についても源泉的供給とみることができるからこのような場合の医薬品販売業者は、当該医薬品について製造業者と同等の安全性確保義務があるといわねばならない。そしてこの場合、発売元に対応する製造業者、又は輸入業者も、特に免責される理由はないから、その責任は連帯して負うことになると解される。

本件で、被告武田は、別紙(一)記載の如く、被告日本チバ関係のキノホルム剤(以下、単に日本チバ製品という。)については、単なる中間流通業者としての地位にあつたにすぎず、医薬品の副作用を検査し、安全性を確認する義務は、もつぱら製造業者の領域に属すると主張するので、この点につき判断するに、〈証拠〉を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

武田長兵衛商店(被告武田の前身)は、大正二年(一九一三年)関西における全チバ(当時は、スイス・チバ社の前身)製品の特約店となり、同一一年(一九二二年)には、チバ製品の日本における総代理店、発売元となつた。その後、昭和一三年には、武田商店は、スイス・チバ社(当時はその前身)から、ヴイオフオルムその他数種の製品の日本における製造権を譲り受け、原料も日本に仰ぎ、同店で国産として製造供給するに至つた。戦後になると、被告武田と同日本チバは、昭和二八年(一九五三年)三月三一日、一手配給契約を締結し、右契約は、同三三年(一九五八年)三月三一日若干の修正がなされた。右契約によると、被告武田は、同日本チバの一手配給人となり、同日本チバのために日本におけるその製品の最大の配給を確保すべく、力量の範囲でできる限りのことを行なうべきものとされ、また、被告日本チバと事前に協議し、その承諾を得ることなしには、新規競争医薬品会社のために一手配給権を引き受けることができないとの制約を受けた。反面、被告日本チバは、同武田の手を通じなければ、チバ製品を日本国内で販売することができないとの拘束を受けた。そして、被告武田は、右契約に基づき、日本チバ製品をその販売網である全国百数十店の卸店を通じて独占的に販売した。

右のように、被告武田は、医薬品並に食品、化学品、農薬及び動物用薬品等の製造及び売買を目的とする会社であつて、右目的のために必要な医薬品等の研究設備を有する日本でも最大手の製薬企業である。なお、別紙(一)、二記載のキノホルム剤については、被告武田自らがキノホルム剤の製造業者たる地位にあつたものであり、日本チバ製品については、なる程販売業者の地位にあつたとはいうものの、小売商人的な販売業者とは異なり、実質的に製造業者に代置しうる機能をも果しうる地位にあつた。

以上の事実によると、被告武田と同日本チバは、まさに一体という言葉があてはまる程緊密な関係にあつたというほかなく、結局、被告武田は、日本チバ製品についてその製造業者と同一視しうる地位にあつたというべきである。すると被告武田は、被告日本チバ製造にかかる前記キノホルム剤について、販売業者として安全性確保義務があつたということができる。

三予見可能性

1  被告会社らが、本件キノホルム剤を製造、輸入又は購入して、これを消費者に向けて販売した際に、本件スモン被害を予見することができたか否かにつき判断するに、本件では、

(一) 前記の如く、医薬品のもつ性質及び一般消費者のおかれた無防備ともいうべき立場などから、医薬品の製造、又は輸入業者、或いはある種の販売業者には、最高の学問的水準に拠つた医薬品の安全性確保義務が課せられ、その義務は、製造、輸入又は購入時における安全性研究調査義務、販売機の追跡調査及び警告義務など多面にわたり、包括的なものであると解されること

(二) 〈証拠〉によると、医薬品の製造業者は、医薬品を製造する段階で、基礎的な調査、研究、実験等を行ない、或いはまた臨床的な研究、実験等を経るなどしてこれを製品化しており、これら調査、研究、又は実験によつて、当該医薬品に関する知見、情報が製造業者の手中に収集、蓄積されること、したがつて、輸入業者又は販売業者も、系列会社を通じて、これらの知見、情報を入手する途が開かれていること、また医薬品を販売した後でも、これを使用した消費者側から製薬業者に対し、副作用等の報告が来ることもあるであろうし、販売後も当該医薬品に関する文献調査や各種試験を行なうことも可能であり、事後的な知見、情報の入手も容易であること、製造業者は、前記のような調査、研究を行なうための人的、物的設備を有しており、また一定規模以上の企業であれば輸入業者、販売業者であつてもこの種の研究陣を確保していることなどが認められる。これらの事実からも明らかなとおり、予見可能性の有無を判断するために必要な、当該医薬品についての設計、製造、及び販売後の各段階を通じての諸資料は、これら業者側に集積され、またこれらの者によつて収集は容易であると考えられること

(三) これに反し、消費者は、販売される医薬品を、能書記載の方法で使用すれば、有効かつ安全であると信頼して、購入するのが普通であり、入手時に、独自の立場では特別の調査、研究を行なわないし、当該医薬品についての各種資料を入手しようとしても、極めて困難であり、またこれら資料が入手できたとしても十分に理解し、活用することは、一般消費者の科学的、財政的能力からみて無理な場合が多いこと

(四) 医薬品は、一般に危険性を内蔵しているものであつて、絶対安全というような医薬品はないというべきであるから、或る重大な被害が、特定医薬品を原因として発生したという相関関係が認められれば、その被害について、製薬業者らに予見が可能であつたと推測することは、それ自体として経験則上背理であるとはいえないこと

などの事情が認められる。

すると、医薬品製造業者らが販売した医薬品が一要因となつて、これを摂取した者の身体に被害が発生したと認められる本件の如き事案のもとで、前記(一)ないし(四)の事情が存在するのであるから、右製造業者らに、本件被害発生について予見可能性を推定することができるというべきである。そしてこのように、製造業者らにおいて、予見可能性がなかつたことについて反証をなさない限り、右推定は覆えらないとすることは、本件の如き種類の事案では、公平の理念に合致するというべきである。

2  従つて、被告会社らとしては、右推定を左右するに足るだけの反証を尽す必要があるが、本件で被告会社らは、右反証を尽したとは認められない。すると被告会社らについては本件被害について予見可能性を肯定すべきである。

四結果防止可能

本件被害発生が予見された場合に、被告会社らにおいて、本件被害の発生を防止することが可能であつたか否かにつき判断するに、この点についても、予見可能性のところで述べたと同様の理由で、右防止は可能であつたと推定するのが相当であり、本件において、右推定を覆えすに足る証拠はない。

五注意義務懈怠

前記認定の如く、被告会社らには、いずれも製造、輸入又は購入にかかる本件キノホルム剤について、安全性確保義務があること、本件キノホルム剤を服用するときは、その作用が一要因となつて、本件の如き種類、程度の被害が発生することを予見することができ、またこれが予見できたときは、結果発生の阻止の行為に出ることが可能であつたと認められるのであるから、被告会社らが、特段の措置も講じないで漫然とキノホルム剤を販売したことは、前記被告会社らに課せられた注意義務を怠つたと認めるのが相当である。なお右義務懈怠の程度、態様は、被告国の責任についてのべたのと同旨である。

六被告会社の責任についての結論

以上を総合して判断すると、被告会社らの本件キノホルム剤の販売は、本件スモン被害の原因行為とみることができ、前記認定にかかる注意義務の内容、程度等を総合評価すると、被告会社らが右医薬品を販売したことについて、同被告らには過失があつたと認定するのが相当である。

本件スモン被害は、キノホルムの過剰ないしは大量投与に原因があるという主張に対する判断は、被告国の責任についてのべたのと同旨である。したがつて本件スモン被害は、被告会社らの右過失と相当因果関係があるということができる。

第四損害

一キノホルムと原告らの被害との個別的因果関係

1  スモンと非スモンの鑑別

〈証拠〉によると、つぎの事実を認めることができる。

スモン患者とは、前記認定の如く、発症時に、スモン協が定めた「スモン臨床診断書指針」に合致する者を指すと一応いうことができる。ところで右指針は、スモン患者全体の特徴的臨床症状を列挙しているのであつて、スモンの概念ないしは全体としての症状を把握、理解するうえで役立つといえるが、その臨床症状が非特異的であり、診断の客観的指標がほとんどないため、右指針のみでは、類似疾患が混入してくる可能性がある。そこで右指針に合致する者から更に類似疾患を鑑別除外しなければならないわけであるが、右指針には、類似疾患との鑑別に関する条項を欠いている。スモンに類似した他疾患としては、糖尿病性ノイロパチー、悪性貧血による神経障害、ギラン・バレー症候群、各種の薬物中毒、多発性神経炎、加令に伴なう神経疾患、心因性神経症状等があげられる。そして、これら類似疾患を鑑別するには、神経内科をはじめとする各専門領域の医師による診察や、診療録からの病歴の調査を行ない、それぞれの類似疾患の立場から臨床所見、検査所見を中心に除外診断を行なう必要がある。

また、スモン臨床診断指針にほぼあてはまる者を定型スモンとした場合、その符合度が低い者を非定型スモンとしてスモンの範囲に入れるには、慎重な診断が行なわれなければならないし、更にこの非定型スモンと他疾患の鑑別は困難で、高度の診断技術と十分な資料を必要とすることはいうまでもない。

2  キノホルム起因スモンとキノホルム非起因スモンとの鑑別

以上の方法により、スモン患者が鑑別されたとしても、更にそのスモンが、キノホルムを要因として発症したものであるか、キノホルム以外の要因によつて発症したものかを鑑別しなければならない。病因のところでのべたとおり、スモンはキノホルムのみによつて一元的に発症したものとはいい難く、他要因の介在を疑う必要があるからである。この場合、キノホルム起因によるスモンというのは、キノホルム服用の事実が一つの目安になるが、厳密にいうとキノホルム服用者はすべてキノホルム起因スモン患者という訳ではない。既述のとおり、キノホルムも他の医薬品と同様、或る用量以下では、毒作用を現わさないことがあるし、キノホルムを服用していても、それとは無関係に、他要因の原因力が強い場合には、キノホルム以外の要因による発症があり得るからである。したがつて、スモンと確定した者の中でも、病因論の観点から、キノホルムが要因となつていないスモン患者を鑑別除外する必要がある。そしてこの鑑別は、キノホルム剤の服用の有無によつて決まるといつた単純なものではなく、その判定は困難で、高度の技術と十分な資料を必要とすることはいうまでもない。このようにして、真にキノホルムが一要因となつて発症し、増悪をみたスモン患者を鑑別認定する必要があり、かかる患者の被害が、まさに本件被告らの過失と相当因果関係のある損害ということができるのである。

以下これらの観点に立つて、原告らにつき個別的に、キノホルム起因のスモンであるか否かにつき判断する。

3  個別的認定

(一) 〈証拠〉によればつぎの事実を認めることができる。

(1) 原告ら(原告宮川ら及び同田中らについてはその被相続人)の性別、生年月日、摂取キノホルム剤名、摂取開始、及び神経症状発現時期、被害の内容、死亡者の承継関係等の概要は、請求原因一、7、(一)ないし(十一)、及び別紙(二)原告ら一覧表記載のとおりである。

(2) 各人別のキノホルム剤摂取前後の状況は、つぎのとおりである

(ア) 原告矢木高志関係

① キ剤摂取前の症状

昭和四三年六月二五日腸閉塞再手術後下痢

② キ剤投与後期間、キ剤名、投与機関、及び総投与量

昭和四三年七月三日より昭和四四年八月二五日まで、エマホルム、金大附属病院(入院)、合計約二九〇g

③ キ剤摂取開始後の腹部症状

下痢、便秘

④ 神経症状発現時期と当時の症状

昭和四三年九月上旬より両下肢のしびれ、痛み、これが上向して腰痛を伴う下肢の麻痺、中心暗点及び視野狭窄を伴う視力障害

⑤ 現在の症状

両下肢の異常知覚、歩行障害(一本杖でごく短距離)、視力障害(0.01、中心暗点)

(イ) 原告横山光江関係(各項目は、原告矢木関係参照、以下同じ)

① 昭和四三年初頃、腹痛、下痢

② 同月二月二〇日より、エンテロ・ヴイオフオルム金沢市立病院(入院)、量不明

① 同年六月より、腰痛、下痢

② 同年六月より、通院投薬、以下不明同年九月一一日ころより、エンテロ・ヴイオフオルム、キノホルム、金沢市立病院(入院)量不明

③ 同年九月一六日より、不痢は軽快

④ 同年九月二五日ころより、足先より異常知覚(しびれ感、痛み)、上向、両下肢麻痺

⑤ 両下肢の異常知覚、運動障害(三〇〇メートル位までが独立歩行の限界)

(ウ) 原告米沢芳野関係

① 昭和四二年八月下旬、下痢、腹痛

② 同年八月三一日より、九月一三日まで、エマホルム、山田医院、量不明

③ 同年九月中旬、吐気、下痢、腹痛(都外科医院入院)

④ その後、両下肢より異常知覚(冷感、痛み)、上向、歩行障害

⑤ 腰から下の異常知覚、歩行障害(両杖二〇〇メートル位)、尿失禁等

(エ) 原告温井昭関係

① 昭和三四、五年ころより下痢をしやすい。

② 昭和三六年ころより昭和四三年ころまで、エンテロ・ヴイオフオルム、売薬、一月三〜六錠ほぼ連用

③ 不明

④ 昭和三九、四〇年ころ、異常知覚(足蹠に何か貼りついた感じ、しびれ感)、上向、運動障害、(富山市民病院、金大附属病院入院)

② 昭和四四年一月六日より同年三月二四日まで強力メキサホルム、石川県中央病院(入院)、一日3.0g

③ 不明

④ 異常知覚継続上向、歩行不能(富山赤十字病院入院)

⑤ 両下肢異常知覚、運動障害(一本杖)

(オ) 原告岩山みどり関係

① 昭和四三年一一月上旬、下痢

② そのころ、エマホルム錠、売薬、量不明

③ 下痢

② 昭和四三年一一月一二日より同月一八日まで、エマホルム、古屋外科病院、三日分計3.0g

③ 下痢

② 昭和四三年一一月一八日より、エマホルム、富山県立中央病院(入院)、三日分計3.0g

③ 不明

④ 昭和四三年一一月二〇日ころ、両下肢触覚過敏、しびれ感上向、歩行障害、複視、言語障害、手指知覚障害

⑤ 異常知覚、歩行障害(一本杖一〇メートル位)

(カ) 亡宮川清作関係

① 昭和四二年六月ごろより、下痢、便秘

② 昭和四三年一一月一九日より昭和四四年九月まで、強力メキサホルムA、エママホルム、富山県済生会高岡病院、一日1.5g、二九七日分

③ 腹痛、下痢(入院)

④ 昭和四四年五月下旬、両下肢足蹠のしびれ感、上向、歩行障害

⑤ 両下肢異常知覚、両下肢運動不能、糞失禁、昭和四九年一二月二七日死亡

(キ) 原告保里良子関係

① 昭和四〇年九月肺結核疑(入院)、胃腸不調

② 昭和四〇年一〇月ごろより昭和四一年三月まで、及び昭和四二年四月より昭和四月年七月まで、エンテロ・ヴイオフオルム、エマホルム、メキサホルム、強力メキサホルム、富山県済生会高岡病院(入院)、一日1.5g五〇一日分

③ 昭和四〇年一〇月ころ、腹部の不快感、腹痛、下痢

④ 昭和四一年五月はじめころより、両下肢末端よりしびれ感、歩行不能、視力障害、運動障害

⑤ 異常知覚、運動障害、歩行障害(二本杖二、三〇メートル)、視力0.1

(ク) 原告藤戸ヒサ枝関係

① 昭和四三年四月より下痢、腹痛がつづく。

② 昭和四四年六月二五日より同年七月一七日まで毎日、その後間歇的、エマホルム、国立療養所敦賀病院(入院)、一日2.0g

③ 一時軽快後、腹痛を伴なう下痢、便秘

④ 昭和四四年七月一五日ころ、異常知覚(足蹠よりしびれ感)、上向、下半身運動不能、視力障害、色覚異常

⑤ 下腹部以下の異常知覚、両下肢運動障害(杖一〇〇メートル)、視力障害(両眼0.02)

(ケ) 原告北川トク関係

① 昭和四四年末頃より悪心、上腹部痛、食欲不振、右季肋部圧痛、胆のう造影不良

② 昭和四五年二月一六日より六日間、強力メキサホルム、市立敦賀病院(入院)、一日1.8g

③ 昭和四五年二月二三日胆のう剔除術

② 退院後昭和四五年四月一三日より同年八月八日まで、強力メキサホルム、前同病院(同年五月四日入院)、一日1.2g

③ 昭和四五年四月末より、腹痛、悪心、食欲不振

④ そのころより異常知覚(足蹠のしびれ感)、両下肢麻痺

⑤ 両側大腿部以下の異常知覚、運動障害(歩行は杖使用)時々尿失禁

(コ) 原告東部はな関係

① 昭和四一年九月六日腹痛、細菌性大腸炎

② 昭和四一年九月九日より一二日間、エマホルム、上神明診療所、一日3.0g

③ 昭和四一年九月一九日より激しい腹痛、腸閉塞症、腸閉塞症(入院)、同月二二日手術、一時経過はよかつたが再び嘔吐、下痢、同年一〇月七日再度腸閉塞症手術

② 昭和四一年一〇月一一日より一四日間、エマホルム、前同診療所、一日1.5g

③ 症状軽快(時々下痢、腹痛)、同年一二月一二日退院

② 昭和四二年二月二三日より一九日間、エマホルム、前同診療所、一日3.0g

③ 昭和四二年三月二〇日腹痛、嘔吐(入院)、便秘、下痢

④ 昭和四二年四月初ころ、異常知覚(両足の足蹠部しびれ感、痛み)、上向、歩行不能、視力障害、失禁

② 昭和四二年四月一一日より一四日間、一日2.0g

昭和四三年四月二五日より二九日間、一日1.5g

昭和四四年二月一九日より一四日間、一日1.0g

いずれもエマホルム、前同診療所

③ 不明

④ 前記神経症状継続、昭和四二年六月以降やや軽快

⑤ 上腹部以下の知覚異常、起立不能、軽度の視力障害、尿糞時々失禁

(サ) 亡田中和子関係

① 昭和四二年九月一九日僧帽弁狭窄症手術のため、福井循環器病院入院後腹痛、下痢

② 昭和四二年九月一九日より一〇月二〇日まで、エンテロ・ヴイオフオルム、前同病院、一日2.0g

③ 腹痛、胃部痛、下痢

④ 昭和四二年一〇月八日より、異常知覚(両下肢しびれ感)、上向、歩行困難、上肢筋力低下、言語障害

⑤ 両下肢股関節異常知覚、運動障害(歩行不能)、昭和五一年二月一〇日死亡

(二) 前記認定によると、

(1) 原告らには、おおむね、神経症状に先立つ腹部症状がみられ、神経症状は異常知覚から始まつていることが明らかであり、この点ではスモン臨床診断指針①、a、b(45、46丁参照)に一応符合する。しかし中には、急性又は亜急性ではなく、慢性型の経過をとるもの、下肢知覚障害が両側性に表れないもの、その他病像が右診断指針に必ずしも一致しないものなどがあり、非スモンか非定型スモンかの判断を必要とするものが存在し、また結核、心臓疾患、高血圧症その他、他疾患の治療中に、スモン症状が発症したものがあり、これらを含め類似疾患又は他要因スモンとの鑑別を必要とする事情が存在する。

(2) 投与されたキノホルム剤についてみるに、①エンテロ・ヴイオフホルムとあるのは、別紙(一)の被告会社に対する製造許可時期と前記認定にかかる摂取時期とを対比してみると、別紙(一)、三の日本チバ製造にかかる、エンテロ・ヴイオフオルム錠「チバ」又はエンテロ・ヴイオフオルム「散」であると認めることができる。②強力メキサホルムとあるのは、他に同名の薬剤が存在する立証がないから、別紙(一)、三の強力メキサホルム散「チバ」、強力メキサホルムA散「チバ」、又は強力メキサホルム錠「チバ」であると認められ、またメキサホルムとあるのも、同様の理由から、メキサホルム散「チバ」であると認める。③複数製剤名が掲記してあるのは、これら複数の医薬品が、同時併用、又は一定期間をおいて交互に使用されたものと認める。

(3) 右の如く、原告らについては、いずれも本件キノホルム剤の摂取が認められるのであるが、原告らのスモン症状がキノホルム起因のものかどうかの判断は困難である。即ち、①原告らはいずれも、キ剤摂取前に、何らかの腹部症状をもつており、これらの中には、非特異的な一般の下痢、腹痛とは違つた症状のものがある。このキ剤摂取前の腹部症状が、スモンの必発症状としてのものか、単にキ剤の投与を促したスモンとは無関係の腹部症状であるかを判別する必要がある。もし前者であれば、キ剤投与前から、すでにスモンが発症しているとみなければならないからである。②つぎに、キ剤の摂取が認められるとしても、その一日当りの投与量及び投与期間の不明なものがある。投与量があまりに少ないものは、キ剤の服用があつても、キノホルム起因の発症とみることはできないと解されるからこの点も明らかにする必要がある。

(三) 以上の各疑問点については、病歴、臨床所見及び検査所見を総合し、これらを基礎として専門的知識に基づいて判断されなければならず、したがつて、そのためには、診療録の提出と、それに基づく専門家の鑑定が必要であるといわねばならない。かかる観点から採用された鑑定において、鑑定人祖父江逸郎、安藤一也、井形昭弘、池田久男、大村一郎、片岡喜久雄、黒岩義五郎、越島新三郎、杉山尚、高橋光雄、塚越広、椿忠雄、豊倉康夫、花籠良一、藤原哲司らは、診療録(但し原告岩山みどり、亡宮川清作、同保里良子、同藤戸ヒサ枝、同北川トク、同東部はな、亡田中和子らについては診療録の提出がなく、原告温井昭については一部提出がない)、診断書、鑑定嘱託に対する回答書及び病状記録(右診療録未提出原告分)、キノホルム投与証明書に加え、その他本件記録中のものを資料とし、更に、キノホルム剤の服用については、量と期間の資料を重視し、記載不充分のものについては、資料の再提出を要求して、これら結果に基づき鑑定を行ない、結論として、①本件原告らの臨床症候はいずれもスモンの臨床診断指針に合致し、②神経症候発現前においてキノホルムの服用が認められ、③右症候については、キノホルム以外の原因およびスモン以外の疾患が除外されるとした。

よつて当裁判所は、前記認定事実に、右鑑定の結果を総合し、原告らはいずれも、本件被告ら販売にかかるキノホルム剤に起因するスモンに罹患したものと認定する。

二損害額

1  損害の発生

前記認定事実によると、原告らがスモンに罹患したため、身体に種々の障害を受けたこと、そのうちの一部は、現在も治ゆせずに残つており、そのため原告らは、多大の精神的苦痛を蒙つたことが認められる。

原告らは、右精神上の損害のほか、財産上の損害など広汎な損害を蒙つたとし、これら原告らにつき生じた損害全体を、一律的に請求すると主張するが、本訴において、慰藉料とは別に、財産上の損害を費目ごとに立証し、これを積算せんとしているものではなく、また将来も財産上の損害を別途に請求する意思を有しているとも認められない。したがつて原告らの主張は、前記疾病によつて蒙つた精神上の損害を中心とし、本件記録に表れた資料によつて推認される財産上の損害を、その限度において、慰藉料額算定の事情として考慮することを求め、その意味で将来も財産上の請求をしないことを約しているものと理解するのが相当である。

以下このような前提のもとで慰藉料額を算定する。

2  原告らが蒙つた、前記損害に対する慰藉料額を算定するに当つて、つぎの事情を考慮した。

(一) 原告側の事情

(1) 本件原告らの略歴、生活及び家庭状況、年令、スモン発症の経過、本件スモン障害の態様、部位、程度、現在の症状等については、前記記載のとおりで、まことに悲惨であるといわねばならない。そして原告らは、主として腹痛とか下痢など一般的疾患治療のため、本件キノホルム剤を投与されたのであるが、それが右症状を癒さなかつたばかりか、思いもよらず回復困難なスモンを発症させる要因となつたものであり、医薬品に対する信頼が破られたということで痛恨の念やみ難いものがあると認められる。したがつて原告らのこれら被害は、速やかに救済されなければならないということができる。

(2) 以上のほか、〈証拠〉によれば、スモン患者の大多数に次に述べる事情が認められ、これは多かれ少なかれ、本件原告らについても共通するものと認められる。

(ア) スモンの健康破壊の特質

スモンの腹部症状としての激しい腹痛等は、発症時には、麻薬でも効かないことがある程で、はなはだしくは腸閉塞のような症状を起こし、この腹部症状は、現在でもスモン患者の、下痢をしやすい、或いは下痢の回復が遅いといつたかたちで残つている。その特徴をなす異常知覚は、多様であつて、例えば触覚異常(足の裏に厚いゴムがついている、糊がついている、砂利がついている等)、筋肉の硬直感(足首に鉄の輪をはめている感じ、鉛の靴をはいている感じ等)、温冷感の異常(足の裏が熱い感じ、脛に濡れたタオルをまきつけた感じ等)、それらに伴う痛み(針でさされるような痛み、じんじんする痛み等)がつづき、四六時中途絶えることがない。昼夜を分たぬそれら異常知覚に加えて、下肢筋力低下、錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象等)を呈することが多く、運動障害となつて、歩行不能或いは歩行が極めて困難な状態となり、その他視力障害(視野狭窄、視力低下、色覚異常等)、膀こう障害、自律神経障害等多様な神経疾患が発症し、合併症(尿毒症、糖尿症等)を伴いやすい特徴も見られる。

(イ) 右により患者らが受ける苦痛

以上のような異常知覚、運動障害が継続することにより、スモン患者は、日常生活の基本的能力を、発症以後、今日まで奪われている。起床から洗面、着衣、食事、家事労働、外出等、日常行動が不能又は不自由となり、趣味、娯楽を楽しむ機会はなく、安眠すらできない。夫婦の性生活も思うにまかせない状態となり、労働能力はなく、はなはだしきは死に至る。

(ウ) 治療法の未確立

右のごときスモン患者の知覚異常、運動麻痺等に対して、スモン班、スモン協会等において、各種治療、リハビリテーシヨンの試み(ATDニコチン酸点滴療法、高圧酸素タンク療法、ビタミン剤投与等)がなされたが、現在のところ、一部対症療法(例えば、知覚異常治療を目的とした交替圧注治療、鍼等)がわずかに効果が認められる場合があるものの、根本的な治療法は確立されておらず、症状が固定し、回復の見込みはたたない。

(エ) 財産的損害

右のごときスモン発病に伴い、その影響は、まず経済的側面にあらわれ、発病に伴う直接、間接医療費、関連支出(家屋備品の購入、改造、暖房費等)の増大となつてあらわれ、次いで、患者自身の失職、転職に伴う収入減、労力能力喪失による将来にわたつての収入減としてあらわれる。

(オ) 患者の家族らの苦痛

一家族の中から、スモン患者の発生をみることにより、患者らの看護、治療のため、多額の出費を余儀なくされ、付添、介護のため、過重な労力をさかなければならず、患者ら家族の精神的、肉体的、経済的負担も大きい。

このような患者の療養生活は、家族全員から家庭生活の楽しみを奪い、その経済生活を逼迫させ、家庭生活を破壊の危機にさらしている。また、スモンの原因は、大部分がキノホルム中毒であるとスモン協での総括報告がなされるまで、奇病、伝染病といわれ、家族全体が、地域社会から疎外され、社会復帰ができないといつた多大の苦痛を受けた。

(二) 被告側の事情

(1) 本件においては、前記の如く厚生大臣について、最高度の注意義務を認め、副作用予知の困難性を承認したうえで、予見可能性についてかかる義務の高度性の故に、あえてこれを肯定したのであるが、注意義務の程度を高めていくと、それは、必然的に抽象化に近づくのであつて、右義務は、むしろ無過失責任に近いものとなつているのである。医薬品製造業者らの義務についても、同様、広汎かつ最高度の注意義務を認定し、予見可能性等については、これを一定の事実関係のもとで推定し、反証なき限り過失があつたとするなど、義務の抽象化、ないしは無過失責任に近づけて判断していることは、すでに記述したとおりである。そのほか、スモンの病因についても未知の部分があり、病因論は現在、一義的に明白でない。本件ではこのような高度化、抽象化された注意義務のもとで過失を認定したのであつて、したがつてその反面、過失の程度、ことに道義的非難性を、それ程強度のものとして考えることはできない。弁論の全趣旨によつて明らかな如く、製薬企業は、これまで医薬品を供給することによつて、国民の生命、健康の維持に貢献してきており、今後薬事行政を含め、製薬企業が健全な姿で存続することが、結局は、国民の利益でもあるのであり、それはまた、本件被害者救済の推進にもなると解されるのである。このように、本件薬害は、典型的な公害事件とは質的に異なる面があるというべきである。

(2) スモンが一たび全国的に大量発生をみるや、国は多額の経費を投入し、各専門分野の学者や臨床医師を動員してその研究調査に当らせ、これら科学者も各方面からの探究を続け、スモン被害の防止及び救済に尽力したことはさきにのべたとおりである。これら研究者は、それぞれの分野において、科学者としての立場で真実のために困難な研究に従事したことが明らかであつて、これらの人々の努力は、スモン防止救済に向けられていたことは疑問の余地がない。スモンは、医療行為に原因があるとしても、それがなるが故に、また国をはじめ多くの科学者らによる救済のための研究が、すみやかに行なわれたと評価しなければならない。そしてこの成果が本訴請求の基礎をなしているともいえるのである。

3  損害額の認定

(一) 本件原告らの慰藉料額は、以上の原告側、被告側双方の事情、その他本件記録に表れた一切の事情を斟酌し、被害者の救済を基本理念とし、衡平、ないしは社会的妥当の原理にも考慮を払いつゝ適正に裁定されなければならない。かかる観点から当裁判所は原告らの慰藉料額を後記のように認定する。

(二) 弁護士費用

弁論の全趣旨を総合すれば、原告らは、いずれも弁護士梨木作次郎をはじめとする冒頭記載の各原告ら訴訟代理人弁護士に本件訴訟を委任し、各所属庁会の基準にしたがつて弁護士費用を支払うことを約束したこと、これによつて、右代理人らは、本件訴訟活動を行なつてきたことが認められるところ、本件事案の内容、審理、経過等に照らすと、原告らがこの訴訟を提起し遂行するにあたり、弁護士にこれを委任したことは、原告らの権利の実現のためやむを得ない措置であつたと認められ、そのための弁護士費用の支出は本件不法行為と相当因果関係に立つ損害といえる。

そこで、右訴訟の性質、訴訟遂行の難易度、請求額及び請求認容額、当庁における数次にわたるスモン関係訴訟中第一次訴訟であつて、因果関係、責任関係の総理論部分の立証活動等に要した割合、その他諸般の事情を斟酌して、各原告につきそれぞれ認容した慰藉料額のほぼ7.5%にあたる後記金額を弁護士費用として被告らに負担させることとする。

(三) 以上をまとめると、つぎのようになる。

原告ら氏名

慰藉料額

弁護士費用

合計額

矢木高志

二、六〇〇万円

一九五万円

二、七九五万円

横山光江

一、〇〇〇万円

七五万円

一、〇七五万円

米沢芳野

六〇〇万円

四五万円

六四五万円

温井昭

一、二〇〇万円

九〇万円

一、二九〇万円

岩山みどり

一、五〇〇万円

一一二万円

一、六一二万円

亡宮川清作

(一、八〇〇万円)

相続による内訳

|宮川正雄

一、二〇〇万円

九〇万円

一、二九〇万円

|宮川春

六〇〇万円

四五万円

六四五万円

保里良子

一、四〇〇万円

一〇五万円

一、五〇五万円

藤戸ヒサ枝

二、三〇〇万円

一七二万円

二、四七二万円

北川トク

一、二〇〇万円

九〇万円

一、二九〇万円

東部はな

一、五〇〇万円

一一二万円

一、六一二万円

亡田中和子

(一、八〇〇万円)

相続による内訳

|田中一夫

六〇〇万円

四五万円

六四五万円

|田中良枝

三〇〇万円

二二万円

三二二万円

|田中みどり

三〇〇万円

二二万円

三二二万円

|田中敏雄

三〇〇万円

二二万円

三二二万円

|田中由佳里

三〇〇万円

二二万円

三二二万円

以上慰藉料額合計   一億六、九〇〇万円

以上弁護士費用合計     一、二六四万円

以上総計         一億八、一六四万円

4  被告らの損害金負担関係

(一) 被告国と被告会社らの関係

前記のとおり、被告国は、国家賠償法一条により、被告会社らは、民法七〇九条により、原告らの前記損害を賠償すべき責任があるというべきところ、両者は共同不法行為関係にあると解される。即ち、民法七一九条前段の共同不法行為の場合には、各人の行為と、結果発生との間に、因果関係の存すること、並びに加害者間に、客観的な関連共同性のあること、及び共同行為によつて結果が発生したことが必要であるが、右因果関係については、各人の行為が、それだけでは結果を発生させない場合においても、他の行為と合体して結果を発生させ、かつ当該行為がなかつたならば、結果が発生しなかつたであろうと認められれば足りる、もちろん、この場合両者間に、関連共同性があること、他の行為との合体について故意又は予見可能性が肯定されることが必要であると解すべきところ、本件において、問題とされる各キノホルム剤については、被告会社らの申請にもとづく、被告国による製造、輸入の許可、承認により、被告会社らによつて製造、輸入、販売が行なわれ、流通に置かれたという関係が認められる。したがつて、右被告国の製造、輸入の許可、承認行為と、被告会社らによる製造、輸入、販売行為は、いずれの行為も本件被害発生について、不可欠のものであると認められ、この意味で、まさに、密接不可分であつて、これらを一体の行為として評価し得るものである。

右のとおりであるから、被告国と被告会社らは、民法七一九条、国家賠償法四条により、共同不法行為として各自連帯して、その賠償の責に任ずべきものである。なお右の如き共同不法行為による不真正連帯債務者間の負担部分は、両者の過失割合によつて定まると解されるところ、本件における被告国と被告会社ら間の過失割合は、これまでにのべてきた注意義務の根拠、内容、注意義務懈怠の態様を対比、総合して判断すると、被告国四、被告会社ら六の割合と認められる。

(二) 被告田辺と被告武田、同日本チバとの関係

本件において、原告保里良子、及び亡宮川清作らは、被告田辺販売にかかるキノホルム剤と、被告日本チバ製造又は輸入、被告武田販売にかかるキノホルム剤を摂取したことは前記認定のとおりである。ところで前記因果関係認定の項に記載した如く、キノホルムに起因するスモンの場合に投与されたキノホルム総量と症度との間には正のD・R・R関係が認められるとの結果が得られており、また各症状の悪化、再燃についても、神経症状発症後のキノホルム剤投与と相関関係があるといわれているのであつて、これらの関係からみると、キノホルム起因スモンは、キノホルムの一回の投与によつて発症し、その後の投与は、スモン症状に関係がないといつた一回完結的な発症経過をとるものではなく、キノホルムの毒性が人体に集積して発症し、更にその集積が症状を増悪させる持続的な経過をとるものと解されるから、製造会社を異にする前記数種のキノホルム製剤は、いずれも前記原告らの本件スモン発症並びにその増悪に因果関係があつたものというべきである。そして何れの製剤が、症状のうちのどの部分にどの程度影響があつたかまでは本件証拠上は不明であるが、右数種の製剤の摂取は、スモン障害について客観的共同関係があるとみられるから、結局右数種の製剤についての製造、販売を行なつた者は、加害者不明の共同不法行為者として、連帯してその賠償の責に任じなければならない。そして右の関係が不明であるところから、内部の負担関係は平等であると解すべきである。

(三) 被告武田と被告日本チバとの関係

前記被告会社らの責任の項で認定したごとく、被告武田と被告日本チバとは、被告日本チバの親会社であるスイス・チバ社の製品について、一手販売契約を締結していたものであつて、前記認定にかかる右被告両社の行為は、本件被害発生の関係から一体不可分と評価される。したがつて本件における右被告両社の関係は、民法七一九条の共同不法行為関係に当るというべきである。なおその負担部分は、双方の過失割合のほか、両社間の前記一手販売契約の趣旨によつて定まるというべきであるが、特約がないとすれば、本件における過失割合は平等であると解される。

第五結論

以上によると、被告国、同田辺は連帯して、原告矢木高志、同米沢芳野、同岩山みどり、同藤戸ヒサ枝、同東部はなに対し、前記第四、二、3、(三)記載の各金員、被告国、同武田、同日本チバは連帯して、原告横山光江、同温井昭、同北川トク、同田中一夫、同田中良枝、同田中みどり、同田中敏雄、同田中由佳里に対し、前同記載の各金員、被告国、同田辺、同武田、同日本チバは連帯して、原告保里良子、同宮川正雄、同宮川春に対し、前同記載の各金員並びにこれらに対する不法行為後であることが明らかな昭和四五年九月七日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求を右限度で正当として認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用し、その余の仮執行宣言申立並びに仮執行免脱宣言申立は、これを不相当と認めて却下することとし、主文のとおり判決する。

(井上孝一 近江清勝 沼里豊滋)

別紙

(一) キノホルム薬剤許可等一覧表

一 田辺製薬株式会社申請分

商品名

申請年月日

許否年月日

内容

根拠法条

エマホルム

昭三〇・一二・一

昭三一・一・一七

製造許可

旧薬事法二六条

エマホルム錠

三一・一・六

三一・一・一七

複合エマホルム

三五・一一・一二

三六・二・二一

エマホルムP

三八・二・九

三八・六・二〇

製造承認

薬事法一四条

エマホルムS

三九・八・二四

四〇・四・一

二 武田薬品工業株式会社申請分

商品名

申請年月日

許否年月日

内容

根拠法条

エンテロ・

ヴイオフオホルム「チバ」

昭二八・四・二〇

昭二八・六・三〇

製造許可

旧薬事法二六条

エンテロ・

ヴイオフオルム末「チバ」

三一・四・一九

三一・七・一六

三 日本チバガイギー株式会社申請分

商品名

申請年月日

許否年月日

内容

根拠法条

エンテロ・

ヴイオフオルム錠「チバ」

昭三五・ 七・一九

昭三五・一〇・  三

製造許可

旧薬事法二六条

エンテロ・

ヴイオフオルム散「チバ」

三五・ 七・一九

三五・一〇・  三

メキサホルム散「チバ」

三七・  三・一四

三七・  五・一二

輸入承認

薬事法二三条

〃一四条

強力メキサホルム散「チバ」

三七・  六・二七

三七・一一・二六

製造承認

同法一四条

強力メキサホルムA散「チバ」

三八・  一・三一

三八・  六・  八

輸入承認

同法二三条・一四条

強力メキサホルム錠「チバ」

三九・  三・一一

三九・  六・一一

別紙

(二) 原告らの一覧表

患者名(性別)

生年月日

摂取

キノホルム剤名

摂取開始時期

昭和・年・月ころ

神経症状・

発現時期

昭和・年・月ころ

原告死亡による承継関係

矢木高志(男)

(昭28.3.18生)

エマホルム

四三・  七

四三・  九

横山光江(女)

(昭4.1.2生)

エンテロ・

ヴイオフオルム

四三・  二

四三・  九

米沢芳野(女)

(明30.8.9生)

エマホルム

四二・  八

四二・  九

温井昭(男)

(昭8.9.26生)

エンテロ・

ヴイオフオルム

強力メキサホルム

三六・  四

四四・一

三九・一二

岩山みどり(女)

(大13.8.21生)

エマホルム

四三・一一

四三・一一

亡宮川清作(男)

(明36.7.21生)

強力メキサホルム

エマホルム

四三・一一

四四・ 四

四四・ 五

昭和四九年一二月二七日死亡

配偶者宮川春   三分の一

子  宮川正雄 三分の二

の割合で相続

保里良子(女)

(昭12.6.10生)

エマホルム

メキサホルム

強力メキサホルム

四〇・一一

右同

四二・ 九

四一・ 五

藤戸ヒサ枝(女)

(大2.11.27生)

エマホルム

四四・ 六

四四・ 七

北川トク(女)

(大3.2.18生)

強力メキサホルム

四五・ 二

四五・ 五

東部はな(女)

(明39.9.1生)

エマホルム

四一・ 九

四二・ 四

亡田中和子(女)

(昭2.7.7生)

エンテロ・

ヴイオフオルム

四二・ 九

四二・一〇

昭和五一年二月一〇日死亡

配偶者田中一夫  三分の一

子  田中良枝  六分の一

同  田中みどり 六分の一

同  田中敏雄  六分の一

同  田中由佳里六分の一

の割合で相続

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